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 レギュラーより控え、控えよりベンチ入りしていないチームメイトが気になる。
 エースを奪われた者、また、奪ったが故に孤立したエースを放っておけない。
 チーム内に摩擦があるとつい後輩のほうをかばってしまう。
 助言を求めに来た後輩には何時間でも付き合ってやる。
 試合で打たれたバッテリーには声をかけずにはいられない。
 試合後には真っ先にエラーして自分を責めているチームメイトを励ましにゆかずにはいられない―――。

 金沢にとって、チームメイトの悩みに耳を傾けてやり、彼女らを励ますのは当たり前のことだった。
 中学時代、シニアのチームに在籍していた時から、彼女の、チームメイトに対する態度はそういうふうに一貫していた。自分では特別なことをしたつもりはなかったが、他の人にとって、彼女の姿勢は珍しいようだった。
 やがて、チームメイトに慕われ、頼られるようになって、自然の流れでキャプテンに推薦され、断り切れずに引き受けてしまったのが金沢にとっての運の尽きだった。

 リーダーの素質が皆無だった金沢はその後、シニアを引退するまで大いに苦しむことになった。チームをまとめることができず、絶えずイザコザに悩まされた上、戦績も今一つ振るわなかったのだ。
 チームメイトの手を借りながらなんとかやりおおせたものの、辛くて、何度も何度も自分のふがいなさに悔しい思いをし、打率だけで選ばれたのではないかと悩んだ1年間だった。

 そんなふうにチームのまとめ役になることがいかに大変かを中学時代に思い知ったため、高校ではもうやるまいと決めていた。
 自分は主将向きの人間じゃない。それよりも、部内の動静を把握して逐次主将に報告し、彼女の指示に従って調停を手助けする裏方の役割が向いている、と金沢は思っていた。
 それに、少々口が過ぎるし、怖い先輩Aぐらいの位置が自分にはちょうどいい、と思っていた。
 
 しかし、2年生に進級すると、意に反して次期主将に目されるようになった。
 打率がそこそこよかったのと、リーダー気質だったからかもしれない。
 何かと部員の相談に乗っているうちに、自然とチームの精神的支柱の役割を担っていた。
 入部当初こそ、もう一生主将はやるまいと思っていた金沢だったが、この頃、その絶対的な拒絶感は薄れていた。
 というのも先輩たちが、主将任せにせず、全員で助け合ってチームをまとめる姿を見ていたからだ。

 彼らは、かつて、金沢のチームメイトだった者たちのように、役職にある選手に面倒事を押し付けるようなことをしなかった。チームは、試合に出ることのない人たちを含め、全員が努力して築きあげてゆくものだ、という合意が、暗黙のうちになされていた。

 金沢は、上級生たちのそういったふるまいを見るうちに、チームのまとめ役・リーダーの役割について考え直さざるをえなかった。
 彼女の中で、かつてまとめ役というのは、能力があり、優れた人格を持ち、リーダー気質で、その上、チームを引っ張ってゆこうという気概のある人のみがその座に就くことを許される、非常に困難を伴う役回りだった。

 しかし、当時主将だった春田朝夏が極めてリラックスした態度で、周囲の協力を仰ぎながらゆるやかにチームを先導している姿を見て、彼女の“リーダー像”は根底から覆された。
 そして、モノの見方が変わるのに従って感情も変わってゆき、徐々に主将への意欲が出てきた。
 新しい主将を決めるためのミーティングが行われたのは、そんな矢先だった。

 主将選出のミーティングは例年秋に、引退した上級生が次の主将・副主将にふさわしい者を推薦し、その意見を基に指導者と1、2年生が話し合いの末に決定することになっていた。
 この年、主将に推薦されたのは、金沢悠木と菊池東亜のふたりだった。
 金沢はこのとき、部内からの信頼が最も厚いクリーンナップであり、また、菊池は三番手の捕手だった。

 この秋、本来正捕手となるはずだった菊池がなれなかったのは、澤が入部早々にレギュラーの座を獲得したからだ。澤が乗り込んでくるまでは、チーム内の誰もが、前正捕手であった荒川遊衣の後釜は菊池だろうと思っていた。
 しかし予想に反して、正捕手になったのは澤だった。
 更に、石神京香という、澤に次いで才能のある体力お化けも捕手として育っていたため、菊池はまさかの三番手になってしまった。
 この辺り、実力主義の監督、桃井は温情ゼロだった。
 菊池は秋の大会を目前にして、おそらくは最後の夏大まで応援席確定という最悪の事態に見舞われたのだ。
 これで落ち込まないわけがない。実際、菊池は秋季大会のスタメンにもベンチ入りメンバーにも選ばれなかったとき、酷く落ち込んでいた。
 そうして部活動への意欲も減退してしまったようで、以前より明らかに覇気が無くなった。

 それでも当時の三年生は菊池を主将に推した。
 これまで菊池が誰よりも真剣に野球と向き合っていることを知っていたし、それだけに部員の信頼も厚かったからだ。
 監督はこの選出に異を唱えなかった。多少は申し訳なさもあったのかもしれない。
 とにかく、菊池と金沢のどちらかを主将に、どちらかを副主将に、という意見で部が一致しかけた時、それに異議申し立てをした者がいた。
 誰もが予想しなかったその人物は、菊池本人だった。

 菊池は主将決めのミーティングで、主将を断ったばかりか、副主将も引き受けるつもりはないことを明言した。
 部員たちは驚き、戸惑っていたが、金沢はある種この展開を予想していた。
 比較的菊池と親しかったために、相当に悩んでいることを知っていたからだ。
 菊池は次期主将と言われていたときはやる気だった。そうではなくなったのは、捕手選に敗れたからだ。おそらくはもう辞めたいのだろう。そういう空気をここ最近ひしひしと感じていた。
 だから、金沢は一計を案じ、菊池をやめさせないためのプランを考えたのだった。
 そのプランとは、菊池に主将をさせるというものだ。
 役職に就けばおいそれとはやめられなくなる。そして、そうやって頑張っていれば夏大のスタメンに選ばれる可能性も出てくる。そういう計画だった。
 そしてその計画を、部のまとめ役的な立場であった三年生の捕手・荒川にだけは伝えてあった。

 主将も副主将もやらないと言った菊池の発言に騒然としたミーティングで、最初に言葉を発したのは当時副主将だった荒川遊衣だった。

「私はさっき言った通り、菊池が適任だと思いますが」

 金沢は荒川に目配せをして、手を挙げた。
 それに荒川が頷き、金沢を指名する。

「金沢、どうぞ」

 金沢は立ち上がり、乾いたくちびるを舐めてこう言った。

「自分はキャプテンをやるつもりはありません」
「はあ?」

 まわりにいた部員たちが戸惑ったように顔を見合わせた。

「どういうこと?」

 元キャプテンの春田がこわばった表情で聞いた。金沢は自分の隣で口をパクパクさせている菊池を横目で見ながら続けた。

「自分、シニアのときに一度主将を経験したのですが、そのときに懲りたんです。チームメイトを引っ張ったりするのがすごく大変で。そのプレッシャーでパフォーマンスも落ちてしまって散々だったんです。そのとき、自分はリーダーに向いてないってわかりました。せっかく先輩が推してくれてるのに申し訳ないんですが、自分にはできません。だけど、補佐役なら引き受けられるかと思います」

 その言葉に少しほっとした様子の面々に、こう付け加える。

「もし、菊池がキャプテンやってくれるんだったら、の話ですけど―――」

 そう言って金沢は隣にいた沖に意味ありげな目くばせをした。

「沖はどう思う?」

 金沢はその計画について彼女に話したことはなかったが、沖も菊池の落ち込みようは知っていた。
 だから、勘の良い沖なら対応をしてくれるだろう、と思って同意を求めたのだった。
 聡い相手は、金沢の思惑通りに頷いて、賛成の意を示してくれた。

「自分も主将っていう重責はちょっと無理な気がします。これまで二年生をまとめてきたのは菊池ですし、彼女が適任かと」

 金沢は、それ見たことか、と辺りを睥睨し、断言した。

「菊池がキャプテンに一番ふさわしいと思います」

 金沢は意表を突かれて絶句している菊池を見据えて言った。
 そして自分を凝視している菊池に、絶対に甲子園に連れて行くから、と囁いた。
 すると菊池は目を見開いた。その瞳が揺れている。
 もう一押し、と思った金沢は再度宣言した。

「自分は、菊池がキャプテンにならない限り、副主将をやるつもりはありません」
「あなたたちねえ……そういう押し付けあいは――」

 監督は困ったように新チームの主軸となる2年生3人――菊池、金沢、そして沖を交互に見た。
 急に自己主張をし始めた2年生の面々に絶句する監督に代わり、隣で成り行きを見守っていたコーチの佐藤が初めて口を開いた。
 彼女は元プロ選手のバッティングコーチだった。

「金沢が菊池を推薦する理由は何?」
「人望があるし、何より投手陣からの信頼が厚いです。全体を見るのも得意だし、チームメイトに多少厳しいことも言える。後輩からも慕われています。菊池以外、いないと思います」
「なるほど。じゃあ本人に話を聞こうか。菊池、どう?」

 菊池は部屋の隅に追い込まれた小動物のように身をちぢこめてうつむき、机ばかり見ていた。そして消え入るような声で言う。

「む、無理です、そんな、キャプテンなんて大役、引き受けられません。金沢か沖のほうが―――」
「でも、金沢も沖もあなたを推していて、補佐ならやると言っている。2年生の大半もあなたを推している。そうだよね、みんな?」

 一堂に会した2年生のチームメイトが口々にはい、と返事をした。それを確認してから、コーチは監督の方に目を向けた。

「監督はどう思いますか?」

 奥の机で静かに部員たちの動向を見守っていた桃井は、いつものように穏やかな声で言った。

「無理やりさせるのはあまり気が進まないですねえ。これから一年近く、チームをまとめて、対外的な仕事もこなさなきゃないんですから。強制というのは望ましくないと思います。ふたりともできないというのであれば他を当たりましょう」

 雲行きが怪しくなってきたぞ、と思いながら金沢は荒川と顔を見合わせた。そのとき、監督がこちらを見た。

「金沢と菊池は確かによくまとめてくれそうだけどねえ。でも強制はダメ」

 話がまとまりかけていたのに余計なことを、と思いながら、金沢は横に座った菊池の手首をぎゅっと掴んだ。
 ハッとしたように顔を上げた相手に、金沢は小声で言った。

「菊池、一緒に甲子園行こう。これまでやってきたことを無駄にしないで」
「……わかった」

 金沢はすかさず手を挙げて言った。

「監督、菊池がやるそうです」
「菊池、そうなの?」

 慎重に聞いてきた桃井に、菊池は小さく頷いた。

「はい」
「本当に? 脅すわけじゃないけど、並大抵じゃないよ。うちで主将やっていくっていうのは。自分より部のことを優先しなきゃないことも多々出てくるし、責任も重い。それでも、やる?」
「やります」

 菊池は今度ははっきりとそう答えた。声はしっかりしていて、目にも意志が感じられる。
 またやる気になってくれたようだった。
 内心ほっと胸をなでおろす。
 監督は少しの間探るように金沢と菊池とを交互に見たが、それ以上は反論しなかった。

「わかりました。じゃあ金沢は副主将をやってくれるのね?」
「はい」
「では副主将もうひとりはこちらで決めていいかな。三木、やってくれる?」

 金沢が振り返ると、後ろの方に座っていた三木はびっくりしたように椅子から飛び上がった。
 三木はスタメン入りしたことのない選手で、主に記録員をしていた。だから驚いたのだろう。監督に再度聞き返した。

「えっ? 私ですか?」
「うん。あなたは記録員として選手のこと、誰よりも知ってるからね。遠慮せずアドバイスしてやって」

 すると戸惑ったような表情だった三木の顔が明るくなった。

「はい、わかりました!」

 金沢はこそっと隣の菊池に言った。

「面白い決め方するよな」

 菊池は頷いた。金沢は顎を撫でて、監督の采配について考えた。
 桃井監督やコーチたちの役職の決め方は例年通り変わっていた。
 今までの監督の元では、基本的にスタメンの中の特に実力のある者が選ばれていた。副主将がふたりもいたこともない。
 しかし桃井は昨年もその前も、副主将を二軍メンバーや記録員から選出している。彼女はいろいろな意味で型破りだった。

「よーし、これでひと通り決まったね。じゃあ新主将からちょっとひと言もらおうかな」
「はい」

 菊池は緊張した面持ちで立ち上がり、話し始めた。金沢は安堵の息をつき、自分のやり方は間違っていなかった、と思ったのだった。


 ふっと回想から浮上した金沢は、あのときは、とにかく菊池を引き留めることしか頭になかったな、と思う。一緒に頑張ってきた仲間を、もうひとりたりとも失いたくなかったのだ。
 脅しみたいにして菊池にキャプテンを引き受けさせたのは卑怯だったと自分でもわかっている。
 そして、菊池を苦しめるであろうこともわかっていた。
 夏大で試合に出られる保証もなく、ただひたすら投手の投げ込みに付き合うだけの日々になるかもしれない。
 それでも、辞めてほしくなかった。ずっと一緒に頑張ってきたから。
 だからこそ、絶対に甲子園に連れて行く。そして優勝し、蒼の優勝旗をその手に持たせたい。
 金沢はそんなふうに思いながら、日々練習に打ち込んでいるのだった。

 色々考えている間にいつのまにか学校に到着していた。
 金沢はひと気のない昇降口から校内に入り、荷物を教室に置いて部室に向かった。
 グラウンドを見ると、既に何人かがウォームアップを始めている。
 そこには投手の肩慣らしに付き合う菊池の姿もある。彼女はいつも誰よりも早く来て準備を始めていた。それは一年生の頃から変わらない。
 だから皆もついてくるのだ。

 金沢は朝焼けの空の下で球を受ける菊池を目を細めて見た。
 主将という大役を引き受け、その務めを立派に果たしてくれた菊池に報いたい。あのとき、自分のエゴに付き合って残ってくれたその決断を後悔させたくない、と強く思いながら。