栄徳高校はその後準決勝を勝ち上がり、その一週間後に決勝戦を迎えた。
決勝の相手は城山学園高校ーー県四強のうちの一校で甲子園出場常連校である。
この高校は今年、プロからも注目される超高校級の投手・厚木絵里とホームランを量産する左バッター・作並杏を中心として地区予選で快進撃を続けていた。
監督は熱血指導で有名な青木奈緒だ。
まるで火と水のように対極にいる桃井とは知己であるらしく、練習試合を何度もしている相手だった。
だから、互いに手の内は知り尽くしている。
その中でどう意表をつくかが勝負の鍵だった。
相手チームは四番で主将の作並を中心として回っている。だから作並を崩す必要がある、と澤は試合データ表を見ながら思う。
作並は典型的なプルヒッターだが内角の打ち分けもうまい。選球眼もある。
ただし、高めの球は若干引っかけがちだった。
今日は高めのボール球を効果的に使ってゆくのが良いだろう。
沈む球を見せ球に使った後に高めストレートか……とそこまで考えたところで飯田夏に声をかけられ、我に返った。
気付けばバスは止まり、会場に到着していた。
「今日、頑張ってね」
飯田は二年生投手だが、今日の登板はない。
というか、この夏は余程のことがない限り一度もないだろう。
チームには投手が八人いるから、下位の選手はそうなるのだ。
その半分しかいない捕手と比べると、投手の競争率は高かった。
だからというわけではないが、飯田には好感を持っている。飯田は、絶対に榛名を脅かさない投手だからだ。
澤は微笑んで頷いた。
「うん、頑張るね」
「絶対勝てるよ」
バスから降りて飯田と球場に向かいながら考える。
その点、一番怖いのは丹波ミサキだ。
現状ノーコンで助かっているが、それが直ったら間違いなくエース争いに加わることになる。
球威・球速が段違いなのだ。
丹波がノーコンを克服したとき、榛名を凌ぐかもしれないことは考えたくないが、考えなければならない。
だが、コントロールなど一朝一夕で直るものでもなし、少なくとも今年は大丈夫だろう。
だが来年は?
一番大事な最後の夏大に榛名がエースを降ろされるなどという事態にだけはなってほしくない。
だから澤は、榛名や先輩達に何を言われようと投手の育成はやらなかった。
「今日も暑くなりそうだねえ」
「うん。三十五度だって」
「ヤバいね」
飯田と言葉を交わしながら晴れ渡った空を見上げる。朝焼けの残滓がある水色の空にちぎれ雲が浮いていた。
まだ早朝だから蝉はさほどうるさくない。
今日のゲームは七時からだった。
予選は早いと六時から始まるが、今日は一試合しかないので七時スタートだ。
全ての公式試合がこのような時程で組まれるので球児たちは自然朝型になる。
澤も夜九時には眠くなる生活リズムになっていた。
球場に入ると既にパラパラと観客がいた。
球場は、県内で一番大きなところで、プロも使っている場所である。澤も試合を見に何度も来たことがある。
ここで榛名と勝つ、というのが澤の宿願だった。
澤自身は昨年夏もこの舞台に立ちはした。部に入って早々正捕手になったからだ。
そして三年生の自己中投手・横川和海と組ませられ、夏の大会に出た。
結果は甲子園ベスト8だったが、正直楽しくはなかった。
榛名と組めなかった上、横川が超我儘だったからだ。
横川は気分屋で、テンションが下がると本気を出さないわ、プライドは高いわ、捕球配球にケチをつけるわ、澤を下に見て壁扱いするわで終始不愉快だった。
その上横川は最後まで澤を正捕手と認めていなかった。それまで練習によく付き合っていた現主将の菊池こそがふさわしいと思っていたのだ。
その横川を何とか乗せてベスト8までいったんだから褒めてほしいくらいだ。
結局、横川は高校卒業後東京の球団にプロ入りしたが、めちゃくちゃ苦労していてほしい。
まあ、あんな性格では角が立たないわけがないが。
ともかく、そんなこんなで昨夏は全然楽しくなかった。
だが今年は違う。なんといっても榛名がエースなのである。
なんとしても甲子園に出て優勝したい。そして、榛名の笑顔を見たい。
澤は強くそう思っていた。
だから今日は絶対に勝たなければならない。
先発は香坂、リリーフは榛名だ。
この二人は練習試合でも相手との相性が良かった。
だから余程のことがなければ抑えられるだろう。
そのための戦略も監督と相談済みである。
たったひとつ懸念があるとすれば、主力の金沢が打たせてもらえないかもしれない、ということだった。
前回の練習試合でホームランを打ちまくったため、だいぶ警戒されているはずだからだ。
そのあたり、金沢は甘い。
本番の夏大で当たるかもしれない相手に本気の打撃を見せてしまう辺りが。
だが、三番の町田と五番の自分で尻拭いをすれば問題ない。
三年生の町田笑子は部内トップの打率を誇る器用な打者で、ムラっけもなく信頼できる。
その町田がいれば最悪金沢を歩かせられても大丈夫だろう。
澤はつらつらとそんなことを考えながらグラウンドでのアップを終え、指示に従って整列した。
榛名の調子はかなり良い。元々努力型でムラがないのが特徴だが、今回は調整がかなりうまくいって最大限のパフォーマンスができる状態になっている。
先発の香坂も悪くない。香坂の方は若干調子の良し悪しがあるが、このところは好調をキープしていた。
二人とも変化球投手を起用したのは、香坂と二枚看板だった三年生の速球派、三木友里が本調子ではないこともあるが、それ以上に練習試合で城山の強打線との相性が良かったからだ。
城山学園高校の選手たちは速球に対し徹底的に訓練している。
こういう場合は速球を見せ球にしてそれと同等以上の質の変化球をコースギリギリに投げられると強いのだが、三木はそのレベルまで達していなかった。
だからはじめから球速には頼らず攻めていった方がいいだろう、という監督の判断だった。
その判断が吉と出るか凶と出るかはこれからわかる。
どちらであろうと勝つ。そう思い、隣に立つ榛名を見た。
いつも以上に引き締まった表情でまっすぐ前を見据える榛名は格好良かった。
榛名はいつだって格好いい。見た目も、中身も。
エースナンバーは榛名にこそふさわしい。
「「お願いします!」」
高らかなサイレンの音と共に試合が始まる。
澤は小走りでベンチに向かいながら、絶対に勝つ、と決意した。
◇
試合は栄徳高校の攻撃から始まった。
先発は厚木、バッテリーは佐々木という捕手だ。
このバッテリーはわりと攻めた野球をする。
そして、速球も変化球もきっちり投げ分け、高校生としては完成形に近い厚木に唯一穴があるとすれば、立ち上がりがイマイチなところだ。
だから栄徳は先攻を取ったし、三回までが勝負になる。
その後の厚木を捉えるのはほぼ不可能に近いからだ。
その戦略はチーム内で周知され、序盤は安易に打ちにいかないよう言われていた。
その指示通り、1番の沖は待球し、フォアボールで出塁した。
そしてその俊足を生かし、二盗してノーアウト二塁とする。
続く2番の月島は打ち取られたが、3番の町田はヒットで出塁した。
これでワンナウト一・三塁となる。
この陣形は守りにくいが埋めるだろうか、と思っていると、やはり城山バッテリーは敬遠気味に4番の金沢を歩かせた。
ここで澤の番が回ってくる。
立ち上がりが安定しない厚木が決め球のストレートに頼りがちなのは研究してきてある。
願わくばその決め球を叩いて出鼻をくじきたい。
そう思って澤はバットを構えた。
厚木はとても女子とは思えないようながっちりした体格で、相対してみると威圧感があった。
しかし、序盤からピンチを迎えたためか、わずかに焦りの色が見える。
ここで投手が最も嫌うのは押し出し一点だ。意地でもストライクを入れてくるだろう。
厚木が好きなのは外角低めのコースだ。そこにストレートが絶対に来る。
そう思って待っていると、三球目で予想通りのコースに球が来た。しかも甘めに入っている。
バットを振ると、しっかり芯に当たった感触がして、ボールはレフトとセンターの間の方へと飛んで行った。
打った瞬間に入った、と確信する。思った通り、ボールはスタンドインした。
それを確認し、澤は口の端を上げる。
これはもう勝ったも同然である。序盤に決め球を叩かれて、それが満塁ホームランなど、投手にとっては悪夢でしかない。メンタルはズタボロだろう。
そのメンタルの立て直しにリソースを割くので、当然投球の精度は落ちる。
その隙をついて追い打ちをかけてやれば、このエースをマウンドから引きずりおろせる。
そうなったら相手チームの士気も落ち、より勝ちやすくなる。
この一打を打つためにどれだけ厚木を研究したか、と思いを馳せながら塁を回ってベンチに戻る。
すると、選手たちが肩を叩いて労ってくれた。
これで攻撃サイドでの仕事は終わったも同然である。
この四点は大きい。あとはたいして点が入らなくても、榛名と香坂で守り切れる。
澤はチームメイト達とハイタッチをしてから防具を着け、試合のなりゆきを見守った。
一回表はその後、七番の丹波が出塁したが、八番の主将菊池が打ち取られて攻守交替となった。
丹波は今回登板はないが、打者としては起用されており、レフトを守っていた。
そして八番の主将は、元々は捕手だったが昨年秋にセンターにコンバートし、今夏はベンチ入りを果たした。
コンバートしたのは、澤が正捕手の座を奪い取ったからなので最初はだいぶ気まずかったが、菊池は主将だからか、気にしなくていいと直接言ってくれたのでその後はだいぶやりやすくなった。
だが内心は憎たらしいだろうな、と思っている。
菊池は捕手が大好きだったのに、それができなくなり、澤なんかの指示をきかなければならなくなったのだ。口には出さないが相当嫌っているはずだった。
だがそれは大きな問題ではない。中学でも散々嫌われてきたのでそういうのには慣れているし、何とも思わない相手から嫌われたところで痛くもかゆくもない。
それよりも投手として才能の塊のような丹波ミサキの方が問題だった。
澤は、やっぱり先輩すごいです、とか世辞を言ってくる丹波に適当に応じながら考える。
この投手は自分と榛名のこれからの野球プランには必要ない。
エースなどを取られた日には組めなくなるからだ。
だからできる限り成長してほしくないのだが、監督は丹波を育てる気満々のようだった。
さてどうしたものか、と思いながら澤は再びグラウンドに上がり、今度はホームベースの上に座ったのだった。