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 千瀬高校との練習試合から約2週間後に、第24回全国女子高校野球選手権大会・宮城大会の組み合わせ抽選会が、栄徳高校の近所のスポーツ研修センターで執り行われた。
 校欠で会場に赴いたのは、3年生の主将、菊池東亜《とあ》、同じく3年生で副主将の金沢悠木《ゆき》、そして2年生の正捕手、澤樹《いつき》の3人だった。
 本来は榛名玲が来るはずだったのだが、彼女は成績低迷のため授業を休めず、代わって澤が来ていた。

 金沢悠木は、澤と並んで研修センターに向かう道を歩きながら、ちらりと横目で相手を見た。
 肩も野球センスも頭も恐らくチームで一番のこの後輩を、金沢はあまり良く思っていなかった。
 彼女の性格が今一好きになれなかったからだ。
 相性があまり良くないのか、いつも会話が食い違って意思の疎通をうまく出来たためしがなかった。
 澤はいつも飄々としている。試合で上がっているのなんて見たことがないし、冷静で指示も的確だった。完璧な配球、完璧な牽制、完璧な送捕球を難なくこなす上、足が速く、打撃にも優れていた。

 澤は、全国から引き抜かれた部員たちの中でも頭一つ抜けているのに加えて、成績もピカイチだった。
 2年生の中で、プロのスカウトから最も評判がいいのが彼女だった。バッテリーである榛名も相当いい地肩をしているが、澤には一歩及ばない。
 金沢は昔から疑問に思っていたことを、この機会に聞いてみることにしようと思って、口を開いた。

「………そういえば、澤は何でキャッチャーに転向したんだっけ? 中学1年まではピッチャーだったんだよね?」

 澤は、先ほど金沢が渡した抽選時程表を返しながら答えた。

「榛名の球を捕りたかったからです」
「えっ?」

 澤のゆるぎない答えに、金沢は一瞬面食らった。
 冗談を言っているのかと思って相手の顔をまじまじと見てみたが、彼女の表情は真剣そのものだった。

「榛名ってあの榛名? お勉強が滞りがちで、今日来れなくなっちゃった、我がチームのエースの榛名玲?」
「そうですよ」
「えーと………マジで?」
「マジです」

 澤は顔色一つ変えずに頷いた。

「うーん、そういうこともあるのか………そういう理由でコンバートしたなんて聞いたことないけど……。まあ、榛名はいい投手だもんな、分からなくもないような。でも、もったいなくない? そんな理由で。いや、そんな理由でとか言ったら失礼かもしれないけど、澤はいい肩してるんだから、ピッチャーになったらそれこそ……」
「キャッチャーにも肩は必要でしょ」

 金沢の言葉を遮って澤がぴしゃりと言った。

「まあ、それはそうかもしれないけど………。それに、何でうちの学校来たの? 梢葉《しょうよう》学院とか、南海大付属とかからも声掛かってたんでしょ? 設備面重視するんだったらそっちの方が良かったんじゃないの? 栄徳も悪いとは言わないけど、上には上がいるもんだし………」
「私は別にどこでもよかったんですけど、榛名が……ここ入るって聞いたので、それでここに」

 そう答えた澤に、金沢は驚いて目を見開いた。
 てっきりふたりが相談して進学を決めたものだと思い込んでいたからだ。

「示し合わせてうち来たんじゃなかったの?」
「違います。私が勝手に追っかけて来ただけ。……榛名は進路の事私に話そうとしなかったから、多分すごくウザがられてると思います」

 それまで無表情だった澤の表情が、次第に陰りを帯びてゆく。
 それが本当に寂しそうでつらそうな顔だったので、金沢は思わず目を逸らした。

「でも、どうしても一緒に野球したかったから、あの手この手で教師から聞きだして、栄徳に行きたがってるってことを調べ上げたんです。………このことは榛名には絶対言わないでください、私が偶然ここに来たと思ってるから」
「……でもまあ、いいコンビだと思うよ。何ていうか、年季入ってるし、相性もいい。バッテリーってのは組む年月が長い方がいいっていうし?」

 実際には、バッテリーの質は必ずしも時間に比例しないことは分かっていたが、金沢はそう言わなければならない気がした。
 彼女の話など聞こえなかったかのように、澤はうつむいて小さな声で続けた。

「自分でもわかってるんです。私なんかあの人とは釣り合わないってこと。嫌がってるのに無理やりつきあわせてるって………。それでもどうしても榛名と組みたくて、ここに来たんです」
「釣り合わないってことはないでしょ。実際、澤は正捕手なんだし、実力で選ばれて組んでるんだからさ。澤、打率もいいしなあ。4番なのに情けないなー、自分」
「そりゃ4番用の配球と6番用じゃ全然違いますから。先輩、他校によく研究されてますし。私だって4番になったら、今みたいには打てないですよ」
「まあ、そういうこともあるかもしれないけど、それにしてもさ………澤、配球は読めるし、速球で力押しされないし、死角あるの? いつか4番持ってかれそうで怖いよ」

 そう言って頭の後ろで手を組む金沢に、澤は、買いかぶり過ぎですよ、と言って笑った。
 それでも、澤は4番になっても自分より打つだろう、と金沢は思った。
 相手側の配球が読める上、思い通りに動く体を持ったこの後輩はプロの器だ。
 稀にいるのだ、こういう、天賦の才を授かった人間が。
 金沢は自分がプロで通用しないとは思っていなかったが、そこで活躍できるかは疑わしく思っていた。

 やがて会場に着くと、若干緩んだ表情の後輩と、緊張でそわそわしている主将の菊池と共に席につき、金沢はひとり思案にふけった。
 澤が榛名を追いかけて栄徳に来たというのが本当なら、もし榛名がエースから降格したらどうなるのだろう? 
 剛腕のサウスポー、丹波ミサキにポジションを取られたりしたら、澤はどう出るのだろう?
 もし榛名が故障したら? 榛名がいない舞台でも澤は野球を続けるだろうか? それとも……。

 金沢は首を振って浮かびかけた嫌な考えを頭から追い払い、続々と集合する近隣校の選手と指導者たちを眺めながら、自分の予感が当たらないことを願った。
 やがて出場校がそろうと抽選が開始された。
 そして、くじ運の悪さは折り紙つきの主将、菊池は、今回もその才能をいかんなく発揮し、外れくじを引いてくれたのだった。