養母と養父の若本夫妻は子供に恵まれなかった老夫婦で、とてもよくしてくれた。
畠山のツテらしかったが裏社会とは縁のない、ちゃんとした人達だった。
そこで高校の前半一年半を当たり障りなく過ごした。
昔よりも日本語が堪能になったおかげか、白銀楼で鍛えられたおかげかはわからないが、小中で経験したような嫌な思いはしなかった。
だが、特段楽しい思い出もなかった。
信がいない世界は灰色で、何ら意味を見出せなかったのだ。
しかし、高校二年の夏に転機が訪れた。離れ離れになっていた実の母親と祖父母と再会したのだ。
実は、秋二は落籍後すぐに以前母親と住んでいたアパートを訪ねていた。だが、母親はすでに引っ越した後だった。
その後、勤めていた会社にも行ってみたがそこもすでに辞めていて、誰も母親の行き先を知る人はいなかった。
そこで秋二は、母親の実家であるミズーリの片田舎にある農場に行くことにした。それが、高校二年の夏だった。
そこは、秋二が幼少期のほとんどを過ごした場所だった。
アジア人がほぼいない環境で、家の中でさえ時折何気なく交わされる差別交じりの会話に傷ついたのをよく覚えている。
日本人の父と離婚し帰国した母親は仕事と勉強で手一杯だったから、秋二はそこで祖父母に育てられた。
キャンプに連れて行ってもらったり、釣りをしたり、ロードトリップに行ったりと、楽しい思い出はたくさんある。祖父母にも母にも愛されて育った自覚はあった。
だが、一歩家を出ればそこは白人社会だった。
幼少期、今より日本人寄りの顔立ちだった秋二はそこで無視され、からかわれ、時にいじめられて育った。
だから学校での良い思い出はほとんどない。
地元に戻った時、一番に思い出したのはそういう、思い出したくない過去だった。
だが、祖父母と再会した途端にその感情は消え失せた。
母から秋二が失踪したことを聞いていた祖父母は、突如現れた秋二に驚愕し、歓喜した。よく生きて帰ってきたと泣きながら、秋二を迎え入れたのである。
そして、州内の都市で働いているという母親を呼び、二人を引き合わせてくれたのだった。
およそ三年ぶりに再会した母親は変わり果てていた。
若々しく張りがあった肌はくすみ、いつも気を付けて綺麗に整えていた髪は無造作に伸ばされ、疲れ切った表情をしている。
何十歳も年を取ったようなその姿にショックを受けて立ち尽くしていると、母親は駆け寄ってきて秋二を抱きしめた。
成長期を迎え、別れた頃とは似ても似つかぬ姿になった息子を一発で見分け、これまで聞いたこともないような声を上げて泣き出した。
そして、何度も何度も謝りながら、ずっとずっと泣いていた。
それを見て秋二の中にあったわだかまりは消え失せ、母親を許すことにした。異常だ、と言われたあの日のことは忘れてはいない。だが、憔悴しきった母の様子と謝罪の言葉に胸を打たれ、許すことにしたのだ。これをもって秋二は母親と完全に和解した。
秋二はその夏、母親の実家に滞在し、畑の作付けの手伝いなどをしながら過ごした。
久々に地元で過ごす夏はある種新鮮で、信のことをあまり考えずに済んだ。
秋二と過ごすために休暇を取って実家に戻った母親は、まず、離れていた間、秋二がどこで何をしていたのかを知りたがった。
何よりも嘘を嫌う母親に、嘘は通用しない。秋二は、白銀楼で働いていたことと、その店の実態をすべて話した。
その話を聞いたときの母親の反応は忘れられない。そんな児童虐待を野放しにしてる店が公然とあるなど信じられない、と激怒し、日本に行って訴訟を起こしてやる、と言った。
秋二は泣きながら怒る母親に、幸運にもそこで売春をせずに済んだこと、そしてそうなるよう守ってくれた傾城の信のことを話した。
それで何とか母の怒りは一旦収まったが、その後彼女はネットで玉東のことを調べ上げ、いつかは復讐してやる、と機会を窺っているようだった。
正直、ここまで愛されていると思っていなかった秋二は、これほど自分のために怒る母にある種感動を覚えた。
元々恋多き女性で、秋二の父親と別れてからも何人も彼氏を作って楽しく過ごしていたからだ。子供というより、自分の人生を大事にするタイプだと思っていた。
だから、父親違いの弟なり妹なりが何人もできているだろうと思い込んでいたが、そんなことはなかった。
母親は全財産を使って丸一年、秋二を探したらしい。
しかし一向に見つからず、精神的に追い詰められる中で酒に頼るようになった。
まもなく社会生活がままならなくなり、会社をクビになって、就労ビザも失効した。
その後、一度アメリカに帰国し、今度は観光目的で再び日本に入国して秋二を探すということを一年余り繰り返したが、見つからないままに資金が尽きてしまい、アメリカに帰らざるを得なくなったという。文字通り血眼で秋二を探したのだ。
母親はその後、地元ミズーリに戻り、セントルイスで再就職した。その間、薬物依存になった時期もあったという。
絶望し、自暴自棄になり、散漫な自殺をするほどに追い込まれていた。
なんとか踏みとどまったのは、老いた両親を遺してはいけない、という思いからだった。
彼女は薬物依存のリハビリ施設に入り、薬を断つための努力をした。苦しかったが、親を想ってなんとかやり遂げたという。それでもアルコール依存症の方は治らなかった。
秋二が突然現れたのは、そんなふうに日々依存症と闘いながら貧困の中で暮らしていたある日のことだった。
どんなに探しても見つからなかった息子が成長した姿で戻ってきた。これは神が起こしてくれた奇跡に他ならない、と母親は語った。そして、もう離れたくないから、日本で一緒に暮らそう、と言った。
すでに和解していたため、異存はなかったが、問題は自分を引き取ってくれた養父と養母との折り合いだった。
戸籍上、秋二は彼らの子供ということになっている。
それでどうしようかと相談したところ、彼らは母が見つかったことを喜んでくれ、実の母親といられるならその方がいい、と快く秋二を送り出してくれた。これは非常にありがたいことだった。
母親は半年ほどかけて日本での仕事を探し、秋二が高校三年に上がる頃に日本に来て一緒に暮らしはじめた。幸運にも、また母と暮らせるようになったのである。
お互い自己主張が強いので、昔と同じく喧嘩はあったが、それでも母と一緒にいられるほどの幸せはなかった。彼女は秋二のセクシュアリティを認めると言ってくれて、もう何も言わずに出て行かないでくれと懇願さえした。
それがどれほど嬉しかったか。どれほどの愛を受けて育ったかを、秋二はそのとき初めて知ったのだった。
高校三年時に進路を決定するとき、一番に考えたのはそんな愛情深い母と祖父母のことだった。
その頃、祖父母は老いていて、いつ介護が必要になるとも限らない状態だったのである。彼らは農家だったのだが、その後継ぎがいないという問題もあった。
それで秋二は、地元ミズーリの大学に進学することを決めた。
それに母親も同意し、二人は秋二が大学に進学するタイミングで日本を離れたのだった。
信と離れるのは寂しかったが、日本にいたとて会えるわけでもない。
あれほど完璧に拒絶されたら、家を訪ねる勇気も出ないというものだ。
それで、秋二は信への想いを断ち切って地元に帰り、国籍選択の際には米国籍を選択したのだった。
大学生活は、それなりに充実していた。
同じ州内とはいっても、実家のある田舎町とカンザスシティとでは雰囲気が全く違う。
有色人種の数も多く、学内はリベラルな空気感もそれなりにあり、居心地は悪くなかった。
そこで、何人かの男と付き合ってみたりもした。
だが、信と出会った時に感じたような、強烈な何かを感じさせるような相手はいなかった。
信を初めて抱いたときに感じた高揚も、初めて抱かれたときの幸福感も感じなかった。
信とそういった行為に及んだのは仕事上のなりゆきで二回だけだった。
一回目は、男に興味のなかった笠原に代わり信が秋二の水揚げをしたとき、そして二回目は、笠原の落籍の申し出を断り続けていた秋二を信が折檻したとき。この二回だけだ。
前者は秋二が抱く側で、後者は抱かれる側だった。この二回で秋二は童貞と処女を喪失した。
初めてだからということもあったのかもしれないが、その二回は、後にも先にも感じたことがないほど鮮烈な体験だった。これまで感じたことのない幸福と快楽を感じたのだ。
はじめはそれがセックスによるものだと思っていた。
だから、玉東を出てから何人かと付き合いそのような関係になったが、そうなってもあの圧倒的幸福感と快楽は得られなかった。
信との間で感じたあの強烈な感情を感じる相手はいなかったのである。
それで信こそが運命の相手だったのだとやっと気づいた。
だが、気づいた時には遅かった。もう信は手の届かないところにいたのだ。
だから仕方なく信のことは諦めて、きっとまだ出会っていないだけで信を超える人はいるはずだと信じ探していた。そんな矢先だったのだ、信の噂を耳にしたのは。
◇
秋二は養父母のもとを離れてからも、盆と正月には必ず帰省するようにしていた。
それは、自分を引き取ってくれた彼らが本物の愛情をもって接してくれたことがわかっていたからだ。
玉東を出てからの三年弱、彼らは親として秋二を保護し、愛し育ててくれた。
だから、秋二にとって若本家は第二の実家であり、盆と正月の帰省も当たり前だったのだ。
信の噂を耳にしたのはそんなふうに帰省中だった昨年末だった。
偶然、白銀楼時代の客・笠原に誘われて参加した社交パーティで、畠山浩二の愛人が玉東に戻ったらしいことを聞いたのだ。
畠山浩二は信と秋二を落籍し、その後信と一緒になった元客である。だから、畠山の愛人といえば信しかあるまい。
秋二はその噂について調べ上げ、ついに信がいわゆる『地下』と呼ばれる店にいることを突き止めた。
『地下』といえば傾城の墓場といわれた場所である。そんな場所になぜ信がいるのか。
信が自分から行くとは思えないから、畠山が落としたとしか考えられなかった。何かトラブルがあったのだろう。
すぐにでも助けに行きたい気持ちは山々だったが、玉東のほとんどの店は暴力団がバックにいて、安易に動くのは危険である。
店にいた頃も、店とトラブルになった同僚はいつのまにか消えていた。
だから絶対にしくじらないよう、秋二はそれから約半年をかけて計画を練った。
数か月かけて伝手を作り、偽の身分を作り、金をかき集めて準備をした。
母親のアルコール依存症の問題や、祖父母の健康問題や、母の実家の農家を継ぐ人がいないという問題もあり、決して簡単だったわけではない。
だが、幸いなことに秋二には学生ローンがなかった。
若本夫婦が最後にそのくらいさせてくれと、厚意で大学の学費を全額支払ってくれたのである。
これが非常に大きな助けになった。
秋二は、学生時代にバイトして実家の補修費用として貯めていた貯金と金融機関で借り入れた金、そして事情を知った笠原が支援してくれたお金を合わせて軍資金を調達した。
そして社会人一年目の終わりに夏季休暇を利用して日本を訪れたのだった。
そして今、鶯庵にいる。
信と会いたい。この地獄のような場所から救い出したい。ただその一心でここに来た。
信がなぜこんな劣悪な店にいるのかはわからない。
とても自ら来たとは思えないから、何かトラブルに巻き込まれたんだろう。そしてそのトラブルは、一筋縄ではいかないたちのものだろう。
下手をしたら命にかかわりかねない。
だが、そのリスクを冒してでも助けたい。
信は心身ともに強かったが、こんな場所にいたら、長くはもたないだろう。
一刻も早く助け出す必要があった。
『ね、ものすごい美形でしょう。あれで三十だっていうんだから信じられませんよ』
過去を思い出していた秋二の耳に、峯岸の声が入ってくる。秋二はそれで現実に引き戻された。
『そうですね……』
『なんならロットやってみます? 抽選券、一枚お譲りしますよ』
『え?』
『抽選券。もしよければ』
信に意識を集中しすぎて峯岸の話を聞き逃していたらしい。
相手はそんなようすの秋二をどう解釈したのか、自分の端末を操作して秋二の方へチケットをうつしてくれた。
『いいんですか?』
『ええ。ビギナーズラック、きますよ』
端末を確認すると、ロットする、のボタンが押せるようになっている。秋二は峯岸に礼を言ってタッチペンで押した。
すると、グレードの選択画面が現れる。
『あの、グレードっていうのは?』
『ああ、もう終わっちゃう。とりあえずSで』
『Sですか?』
言われるままにグレードSで申請、というボタンを押した直後、画面に、ロットを締め切りました、というメッセージが出た。
『よかった、間に合って』
『それで、グレードっていうのは?』
『どの程度小鳥と絡めるかですね。Sは最後まで、Aはオーラルセックス、Bはタッチ、触るだけ、です。初物とかだともう少し細かくあるんですが……』
その後の説明は頭に入ってこなかった。聞きたくなかったのだろう。
「ええー、沢山のご参加ありがとうございました。これより当選者の発表です。チケットナンバー5364のアイルズさま、おめでとうございます。端末を持ってこちらへお越しください」
「え?」
『わ、きましたよ、ビギナーズラック!』
名前を呼ばれ、思わず端末を見ると、ご当選おめでとうございます、とチカチカ光る文字が出ていた。
『マジ……?』
「アイルズさま、どちらですか? こちらへどうぞ」
興奮したようすの峯岸に促されて席を立つと、周りの視線がこちらを向いた。
「若いな」
「いいね、あたりだ」
「外人か?」
ひそひそ言う声も遠い。
秋二は魅入られたようにステージに佇む男に向かって歩いていった。
壇上に上がると、控えていた調教師らしき男が近づいてきて小声で聞いた。
『ご参加は初めてですね?』
『はい』
『でしたら簡単に説明します。本日のメニューは緊縛、チョーキング、鞭となっています。縛りはこちらでやらせて頂いてもよろしいでしょうか。それともご自分でおやりになりますか?』
『あ、任せます』
『承知しました。後ろは慣らしてあります。ゴム必須、暴力不可です。よろしくお願いします』
『………』
情報量が多すぎてパニックになっているうちに男たちが信の服を脱がせ始めた。
乱暴に帯をとき、仕掛けを脱がせて中の着物をはだけさせる。そして帯の部分だけ残った薄ピンクの着物はそのままに亀甲縛りにして仰向けに倒した。
信はその間、わずかに身を捩るだけでたいした抵抗をしなかった。
視線は定まらずに茫洋と宙をさまよっている。
遠目で見たときには気付かなかったが、確実に薬物をやっている者の表情だった。
それに気付いて背筋が冷たくなる。悠長に構えている時間はなさそうだった。
やがて、横たわった体に鞭が振るわれだす。すると、これまで一言も発していなかった唇からかすれた悲鳴が漏れ出た。
喘ぎ声ともとれそうな切なげな声に、一瞬下半身がドクリと脈打つ。
秋二はそんな自分を激しく嫌悪し、渡された鞭を握りしめた。
そして覚悟を決めて信の体に向かって振り下ろした。
悪夢のような時間だった。最も大切な人をこの手で傷付けねばならぬという悪夢。
しかし、やる他なかった。
絶対に疑われてはいけない。このチャンスをものにするために。チャンスは一度しかないのだ。こちらのもくろみがばれれば、もう店には出入りできなくなる。
だから信との関係を勘繰られるようなことをしてはならない。
幸い信の方では秋二だと気づいていないようだ。
まあそれも無理はない。
秋二の見た目は以前とは別人になっていたからだ。
店にいた頃、百六十もなかった身長は十五センチ伸び、骨格も細身ではあるもののヒョロヒョロだった頃とは比べものにならないくらいがっちりしている。
さらに、どちらかというと日本人よりの主張の少なかった顔が、でこぼこした白人顔になり、輪郭からして変わってしまった。
秋二はアングロサクソン系の白人を母親にもつハーフだったが、子供の頃はアジア系の特徴の方が強い、おとなしい顔立ちだった。
しかし、成長期を迎えた途端にどこかに眠っていた白人の血が目覚め、日本人的な外見的特徴を駆逐してしまったのだ。
そして、信とは成長期を迎える前に別れている。気づかなくて当然だった。
仕方がないし、そちらの方が好都合とはいえ、一抹の寂しさも感じながら、秋二は必死で相手を鞭打った。
やがて横で一緒に鞭を振るっていた男が、そろそろ、と呟いた。
秋二はそこで手を止め、鞭を渡すと信の上に覆いかぶさった。
舞台上は後ろにかけてあるスクリーンに大写しになっており、隠れることは不可能だ。それでもできるだけ観客から信を隠すように体で覆う。
そして後ろがほぐれているか確認したあと、ゆっくり腰を進めた。そしてさりげなく信の体を縛めていた縄をとく。
そのとき、それまで茫洋と宙を漂っていた信の焦点が合った。
信は目を見開き、呟いた。
「秋二……?」
耳を疑った。
まさか気付いてもらえると思わなかったのだ。
秋二はとっさに反応できずに固まった。
すると相手はフッと自嘲するような笑みを浮かべて言った。
「私もいよいよ……」
「違うよ、幻覚じゃないよ」
「喋る、のか……」
「信さん、しっかりしてよ」
自分を幻覚だと思い込んでいる相手を、小声で必死に説得する。
この機会を逃すわけにはいかなかった。
「お願いだから信じて。信じてくれないと助けられない。ちょっ……!」
その瞬間、信が不意に上体を起こし、秋二に噛みつくようなキスをした。
突然であわあわしているうち、舌が入りこんでくる。
思ったよりも激しく舌を絡められ、翻弄されそうになる。
秋二は思い出したように腰を使いながら求められるままキスに応じた。
長い口づけが終わっても相手はまだ求めてくる。
これ以上やったら怪しまれるかもしれないと思ったが、秋二は拒否できなかった。
「秋二、秋二。消えないで、秋二……」
そしてぽろぽろと涙をこぼす。
秋二は愕然として愛する男を見下ろした。
何があっても泰然自若として涼しい顔で受け流していたあの信が泣いている。
秋二の前で一度も涙を見せたことのなかった信が、泣いている。
繊細そうに見えて、誰よりも精神が強靭だった信がこれほどに取り乱している。
残された時間は長くないと直感した。
周りに意識を向けると、信が泣くのは珍しいみたいな話をしているだけで、キス自体は大丈夫だったようだった。
信に目を戻すと、救いを求めるように手が伸びてきた。
反射的にその手を取ると、ああ、やっと、と呟き、信は満ち足りたように目を閉じた。
このままでは信を失う。
そう直感した秋二は深く息を吸い込むと、信の頬を張った。
その途端、信が目を開ける。
秋二は低い声で言った。
「正気に戻れ」
「………」
「これは現実だ。おれは秋二で、信さんを助けにきた。でも協力がなきゃ助けられない。わかるね?」
涙の膜が張った目がぱちくりとこちらを見る。
秋二は声を殺して律動の合間に囁いた。
「頼むから正気に戻って。絶対に助け出すから」
「まさか、本当に……?」
「おれだよ。本当に、現実だよ。信さんがここにいるって聞いて来たんだ。おっちゃんに……笠原さんに手配してもらった」
信は目を見開き、秋二を凝視した。
瞳の奥に理性の光が灯る。
「遅くなってごめんね」
「秋二…来てくれたんだな……」
秋ニは頷き、信の髪を撫でた。
それに気持ちよさそうに目を閉じる。
美しいが、疲れ切った表情だった。
まだ若いはずなのに、年不相応に諦念した顔。
ここでどれだけの地獄をみてきたのか、想像するだに胸が痛い。
秋二は、相手の負担にならないようにできるだけ優しく抱いた。
好きな人を抱いているのだから当然気持ちいいし、体は興奮している。
けれども差し迫った問題をあれこれ考えるのに忙しく、セックスをしたという気は全然しなかった。
時間切れまでにいかにして信をここから出すか。
ただひたすらそれを考えていた。