硝煙の中でマウリ・バルドーニは振り返りざまに発砲した。
振動と銃声と共に背後に迫っていた男が悲鳴をあげて崩れ落ちる。
続けざまに頭と心臓を撃ち抜くと、男は目を見開いたまま動かなくなった。
「大丈夫ですかっ?」
音を聞きつけて部屋に駆けつけたのは部下のマルコだった。
マウリと同じように武装し、ライフル銃を手にしている。
「大丈夫だ。残党がいた」
「危ないっすよ。いつもだけど一人でクリアリングしないで下さいよ」
「ああ……だけどその方がいい」
「はあ?」
「生きてる感じがするから」
すると、マルコは呆れたように首を振る。
「戦闘狂っすねぇ、相変わらず」
そう言われても、何度でも繰り返すだろうと思う。
生死の狭間でしか生を実感できないのだ。
ぎりぎりで生きているとき、脳裏をよぎるのは父や兄の顔だったーーこれまでは。
だが今日、この城で戦ったときに見えたのは黒曜石のように煌めく瞳だった。
「シン……」
それは他でもなく愛する者の瞳。
マウリが初めて愛し、そしてまもなく失う男の微笑が鮮やかに目に浮かぶ。
天使のように清らかで、悪魔のように蠱惑的な笑みを浮かべた美しい男が闇の中からこちらを見ていた。
「よーし、これで自由革命同盟のイギリス野郎達も一網打尽だ。いい機会でしたね」
「かもな」
「うちのシマうろちょろされて前から気に食わなかったんすよ。これでスッキリした」
「けど報復はくるからな。油断するな」
「はい。じゃあ引き揚げますか」
マルコと共に部屋を出る。廊下は錆びた鉄と硫黄の臭いが充満し、そこかしこに死体が転がっていた。ほぼ全て英国拠点のテロ組織・自由革命同盟の構成員だ。
マウリの義父とその兄弟が取り仕切るイタリアンマフィア・バルドーニファミリーとはしばしば小競り合いが勃発していた組織だった。
それを今回徹底的に潰したのは、香港マフィア・九龍(クロン) 幹部のコウジ・ハタケヤマに依頼されたからだ。
その男の息子の友人が自由革命同盟の後ろ盾のある男に拉致監禁され、救出を依頼してきた。
アジアの一新興組織からの依頼など、昔なら一笑に付して門前払いしていたところだ。
歴史と伝統を重んじるバルドーニファミリーはプライドが高い。話さえ聞かなかっただろう。
だが昨今は財政難のため、プライドにしがみついている場合ではなかった。
それでマウリの義父でドンの弟であるロマーノ・バルドーニが九龍からの使者を受け入れ、交渉に当たることになった。
その使者がシン・ハタケヤマだった。
シン・ハタケヤマは黒髪に白い肌がよく映える美しい男だった。
香港マフィアにはいるが、日本人らしい。
男だろうが女だろうが、関わった者すべてを魅了するような魔性の魅力を持った男だった。
だが、美しい人間ならいくらでもいる。そういう人間にも特に魅力を感じない。
むしろ、最初はいたぶりがいのある獲物としか見ていなかった。
だが衝動的にキスしたとき、持病の発作が起こらなかった。これは驚くべきことだった。
なぜなら、それ以前に人に触れて人格交代が起こらなかった試しがなかったからだ。
マウリは解離性同一性障害ーーつまり多重人格である。主人格マウリの他に二つ人格があるのだ。
それまでは性的なことをするたびそちらの人格に邪魔され、誰かと親密な関係になったことすらなかった。
だがシンは違った。シンに触れたとき、マウリはマウリのままでいられた。だから運命だと思ったのだ。
そうしてシンの心の清らかさ、温かさに触れるうちにどんどん惹かれてゆき、恋人を持ったこともなかったマウリが気付けば執着していた。
家族になって共に生きていきたい。そう思いさえしたのだ。
だが、ナポリは危険すぎる。ファミリーの後継者争いの渦中にいるマウリの隣は危険すぎるのだ。
だから、目的を達したら日本に帰すことにした。既に手配もしてある。今頃は空港に向かっている途中だろう。
おそらくもう会うことはない。だがこれで良かったのだ。
遠くにいても、生きていてくれればいい。残って死なれるよりずっといい、はずだ……。
そうは思っても胸がギリギリと締め付けられて息が苦しかった。
本当は手放したくない。誰にも手を触れさせたくない。自分だけを見ていてほしい。
手を取って、共に生きてゆきたかった。そういう未来を夢見ていた。だがそれは叶わぬ。それがあまりにも辛い。
本音が奔流のように流れ出し、ますます胸が苦しくなる。
マウリは、これでよかった、よかったのだ、と自分に言い聞かせながら、血の海の中を歩いてゆくのだった……。