5-2

 翌日、マウリはひとりでラガーウィンの自宅を訪ねた。
 作戦本拠地から西に十キロほどの小さな町外れの邸宅だ。
 古めかしいが、四階建ての立派な家だった。
 ルカの部下がついてくると言ってきかなかったので車で待機させてある。

 マウリは大門のインターフォンを押した
 若い女が出て、名前と用件を伝えると中から初老の男が出てきた。
 髪がすっかり白くなっている縦にも横にも大柄な男だ。
 彼はアプローチを足速に歩いてくると、押し殺した声で言った。

「バ、バルドーニの坊ちゃんが何の御用で?」
「よお、久しぶり。ちょっとお話があるんだけど」
「は、話というのは」
「アンタのお勤め先について、二、三聞きたいことがあるんだよ」
「い、今はダメだ、家族がいる。また今度ーー」
「見え透いた嘘だな。車ないじゃん」
「まあ、厳密にはそうだが、しかしいつ帰ってくるか…」
「いいから入れろよ。ご近所に見られたらまずいんじゃねーの?」
「ワシをっ…ワシをっ、殺すのか?」
「アンタの返答次第だね」

 マウリの言葉にラガーウィンがごくっと唾を飲み込む。

「ううん、だがしかし……」

 煮え切らない相手に柵を叩いて懐の拳銃を見せた。

「ひっ」
「死にたくなきゃさっさと開けろ」
「うっ、わかったっ……わかったからっ」

 ラガーウィンは震える手でゲートを開錠した。
 マウリはちらりと車を振り返り、合図を送ると、屋敷に入った。
 エントランスを通り抜けながら、ラガーウィンが言う。

「し、死にたくない……」
「ヒリーの屋敷で働いているそうだな。主人とは知り合いか?」
「ま、まあ……」
「日本人だそうだな。どういう経緯でこっちに?」
「うちのボスが出資を頼みまして……支援してもらう代わり警護している次第で」
「ふうん。何人くらい働いてんの?」
「な、なんでそんなこと聞くんだよ」

 客間に通されたマウリは、本棚の前の水晶の置物を手に取ってみながら答えた。

「知りたいから」
「な、何か企んでるんだろうっ!」

 ガラスの中に立体的な鳥が描かれている置物が綺麗だ。

「そうじゃなかったらわざわざ来ない」
「そ、それは無理だ。教えられない。そんなことをしたらどんな目に遭わされるか……」
「じゃあ離婚だな。これ見て逃げない奥さんいないだろ」

 マウリは振り向いて、持ってきた写真をテーブルの上にばら撒いた。
 それは、ラガーウィンが複数の男と絡み合っている写真だった。
 カレルリ主催のパーティで数年前に盗撮した写真だ。
 顔がくっきり写っている。
 これではいいのがれ不可能だろう。

「っ……! き、きみだってあんなところにいたのがバレたらまずいだろ」
「俺は何もしてねーもん。ほら、どーすんだよ、奥さん帰ってきちまうぞ」
「くそっ……。わかった、わかった、言うよ。その代わり家族を匿ってくれ。裏切りがバレたら奴らに殺されるっ……!」
「それは約束しよう。じゃあまず警備の人数とシフトから」

 マウリはそうして建物の詳細情報を入手したのだった。

 ◆

 結果として屋敷には常時十人前後がいることがわかった。
 使用人やコックは皆特殊訓練を受けた同盟員で銃も携帯している。
 そして肝心の人質は意外にも普通に生活しているようだった。
 監禁というより軟禁らしい。
 そうなると確実に自室にいる時間の特定が必要だった。

「先に救出してから突入、これは絶対だ。ラガーウィンが協力者として当日連絡する。それを待ってまず外班が部屋から人質を救出、その際ラガーウィンも連れてこい。彼はこちらについたから家族と保護する。妻と孫娘は別班があらかじめ空港付近に待機させておくこと。
 突入時、庭の巡回時刻に当たらないよう注意する。一番近い常駐警備員は屋敷東側の詰め所だ。それから大前提として塔は一番最初に制圧するからな」
「はい、ボス」

 中央の机に屋敷の見取り図を置いて説明したマウリに、部下が声を揃えて返事をする。
 本拠地の会議場で最後の作戦会議が行われていた。
 あらかた必要な情報を手に入れたマウリは再度ホナミ邸の突入手順を確認していた。
 同盟本部襲撃班のブラックスミスたちは先に確認を終え、話を聞いている。

 彼らは同盟本部襲撃班とエジンバラ支部襲撃班の二隊に分かれて行動することになり、うちホナミ邸から十五キロほど北の本部襲撃班だけが拠点に残っていた。
 支部班すでにエジンバラに向かっている。
 同盟の本拠点は大きな城であり、一番攻略が難しそうなことからブラックスミスが担当することになった。
 マウリは人質救出が完了し次第合流する。

 いろいろ考えたが、結局増援は呼ばないことにした。
 いくらイギリス支部の連中が頼りなかろうと他の部隊とは混ぜない方がいい。
 まあ人数を多めに配置し不意打ちだから大丈夫だろう。
 各建物の構造も把握できている。

「よし、では今晩決行だ。二十三時に配置について俺からの合図を待て。作戦が終わるまでは酒と薬は禁止だ。痛み止めもなるべく飲むな」
「はい、ボス」
「では解散!」

 その声で男たちが一斉に席を立つ。
 マウリは神経が昂ぶった状態のまま最後にブラックスミスと打ち合わせをし、自室に戻った。
 そこで資料を見直しながら軽食をとっていると、扉がノックされた。

「あの、シンだけど……ちょっと話せないかな?」
「……」

 これまでは拒絶していたが、今はその言葉が出てこなかった。
 黙っていると扉が開いてシンが入ってくる。
 アイボリーのタートルネックに黒のパンツという地味な格好をしているが、華は隠せていない。
 男だらけのむさ苦しい作戦本拠地で、シンはなぜか皆に崇められる存在になっていた。
 愛想良く皆にせっせと茶や軽食を振る舞っているからだろう。
 そんなことをする必要はまったくないのだが。
 最初に牽制を入れたのでまさか手は出されていないだろうが、これだけの美貌と愛想の良さだ。心が休まらない。
 鎖にでも繋いでおきたい気分だった。もう、自分のものでもないのに。

「あ、ごめん、食事中だった? 出直そうか」
「いい。もう終わった。で、何?」

 今日でシンとの旅は終わる。
 二週間、思ったより長かったが楽しかった。
 作戦について終始考えていてピリピリしていたが、思った以上に心穏やかに過ごせたのはシンのおかげだった。
 こんな人間が地上にいるのなら、もっと早く出会いたかった。
 もっと早く、出会えていたら……。

「うん、あの……気をつけて」
「パウロを残していくから何かあったら頼れ」
「うん……絶対に戻ってきて。それから……もし章介かマウリか、どちらかしか助からないときは、自分の命を優先してほしい」
「不吉なこと言うなよ。どっちも死なねえ」

 そう言いながらもなんと心優しいのだろう、と思う。あんな酷い別れ方をしたマウリをまだ心配してくれるとは。

「うん、そうだよね……。あの、ありがとう。マウリも色々大変な時期なのに依頼を受けてくれて。感謝してる」
「……ああ」

 手放したくない。別れたくない。帰したくない。この宝石のような男を。

「日本っていいところ?」
「うん、住みやすいよ。春は桜が、秋は紅葉が綺麗で。四季が結構はっきりしてるかな」
「サクラ……」
「一年で二週間ぐらいしか咲かない」
「マジで?」
「うん。その儚さが人を惹きつけるんだね……マウリみたいに」
「どういうこと? 俺そんなに可憐じゃないぜ」

 するとシンは近づいてきて手を伸ばし、頬に触れた。

「君は危うすぎる。生き急いじゃダメだ。人には幸せになる権利があるんだよ」
「…………」

 聖母マリアのような清らかさで浄化されてゆく。
 今までに犯した数々の罪が赦されたような気がした。
 本当は放したくない。
 だがシンは帰らなければ。
 マウリの世界は汚れすぎている。
 シンにはふさわしくない。
 日本という美しい国で幸せになるべきだ。
 マウリは身を引き、シンに背を向けた。そして、もう行け、と呟くように言ったのだった。