空港に着いたラザロを待ち構えていたのはルカだった。
税関とセキュリティーチェックを済ませ、荷物を預けて出発ロビーのラウンジで苛々しながら搭乗案内を待っているときに不意にスーツ姿の男達に囲まれ、ラウンジ内に持ち込めないはずの銃を腰に突き付けられた。
そうして両手を後ろで拘束されて連れていかれた先、貸し切りのプライベートラウンジで待っていたのは従兄のルカだった。
長身を三つ揃いのスーツで包み、薄茶の短髪をワックスで整え、銀縁眼鏡をかけた酷薄な表情の男。
洗練された紳士然としているが、眼鏡の奥の薄茶の目は鋭かった。
自分としたことが警戒を怠った、と歯ぎしりをしながら悠然とソファに座って足を組んだルカを睨みつける。
するとルカは顎をしゃくってラザロを両側から羽交い絞めにしている部下を下がらせ二人きりになると、コーヒーを一口飲んでから立ち上がった。
そして頭半分上からラザロを見下ろし、低い声で言った。
「自分が何をしたかわかってるのか?」
「何でここに……」
すると、ルカは拳を振り上げ、容赦なくラザロを殴りつけた。
そして衝撃で倒れかけたラザロの胸倉をつかみ、首を絞めあげる。その苦しさにラザロは呻いた。
相手の黒いタイがぼやけて見える。
「ラザロ、お前は……とことん馬鹿だな! 許してやったのにこの仕打ちか!」
「ぐっ……!」
そして再びラザロを殴る。今度は地面に倒れこんだラザロの胸に膝をつき、胸を圧迫しながら今度はさきほどより強く首を、頸動脈を絞めあげる。
意識が遠のきかけたところでルカは手を離した。
「ぐっ、ごほっ、ごほっ……何でここにいんだよ!」
「お前に着けたGPSはピアスだけじゃないってことだ」
「はあ? 携帯は捨てたし服も全部……」
するとルカはラザロのシャツの襟元を引っ張って上体を起こさせ、首の裏を撫でた。
その感触に全身が総毛だつ。
「クソッ、さわんなっ」
「ここに、チップを埋め込んだ。サムエーレは喜んでたぞ」
「ストーカーかよ、変態が!」
「そうでもしないとお前がまた面倒を起こすからだろうが! 男娼のスパイと駆け落ちなんていい笑い者だぞ!」
「だからその言葉を口にするなっつってんだろうが!」
すると、ルカは薄い唇を引き上げて嗤った。
「男娼だろ? 誰にでも股開く淫売だ。ハタケヤマにだってどうせそうやって取り入って――っ!」
その瞬間、ラザロはルカに頭突きした。シンをまたも侮辱したルカが許せなかった。
「殺してやる!」
「お前にはできん。サミーとマウリがいる限りな」
ルカが顎をさすりながら断言する。そしてまた一発ラザロを殴った。
唇が切れて血の味がする。頬も熱を持って痛かった。
だがこんなのは慣れっこだった。ルカはラザロが反抗するたびこうして拳を振るってきたからだ。
ルカは支配的な性格で、自分に従順なマウリとサムエーレには手を挙げないが、反抗的なラザロに対しては昔から容赦なかった。
「放せよ!」
「お前はつくづく救いようがない。今どんな状況かわかってるか? お前の考えたお粗末な計画は全部先方に筒抜けだ。ハタケヤマからはお前の首を差し出せと言われた。そうでなければ取り引きは全て取り消すと。それを取りなしてやったんだぞ! 感謝の言葉くらい言えないのか」
「嘘つくんじゃねえ! そんなわけ……」
その時、計ったかのように携帯が鳴った。
ルカが鼻を鳴らし、それをラザロのジャケットの内ポケットから取り出して受話し、スピーカーフォンにしてラザロの口元に近付ける。
電話口から聞こえてきたのはハタケヤマの声だった。
「マウリ・バルドーニか?」
「……ああ」
「俺はシンの父だ。息子が世話になったようだな」
「父親なんかじゃねえだろ」
直後、口を慎め、とルカに殴られる。
それでもラザロは話すのをやめなかった。
「てめえがシンに何してるか知ってんだかんなサド野郎! シンをもう傷つけるな!」
「口を慎めと言ってるだろうが! 申し訳ない、弟がとんだ失礼を」
ルカが介入すると、ハタケヤマはなおも低い声で言った。
「お宅の弟さんには困ったものだ。人のものに手を出すなど躾がなってないんじゃないか。是非ともしっかり躾けていただきたいね」
「映像は後日送る。死ぬよりも酷い目に遭わせるのでご心配なく」
「それは楽しみだ。シンと鑑賞しながら酒でも飲むよ」
「てめえっ、ふざけんなっ! ぐっ……!」
叫ぶラザロの首を片手で締め上げ、ルカは携帯をラザロの口元から離して言う。
「今回は寛大な処置に感謝する」
「次はない」
「わかった」
そこで電話が切れた。ルカは渋い顔でラザロを見下ろし、首を掴んでいた手の力を緩めた。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」
「これでわかっただろう。お前の計画は失敗した。さあ帰るぞ」
「あんなところに誰が帰るか!」
そう叫んで唾を吐きかけると、ルカは頬についた唾を指で拭い、目を細めてラザロを見下ろした。
「そうか、罰が欲しいか。ちょうどいい、ハタケヤマからはお前を痛めつけてそれを撮影し、送れと言われている。それが和解の条件だったからな。お前の態度によっては手加減してやらないこともなかったが不要なようだな。来い、家でしっかりしつけてやる」
そう言って立たされた瞬間、手錠の鍵が外れた。何かあってもいいように常に袖口に仕込んでいる手錠用ピックで解錠したのだ。
ラザロは思い切りルカの喉を突き、腰の拳銃を奪った。
「ゲホッ、ゲホッ、お前……」
喉をおさえるルカの脳天に銃口を向け、ラザロは冷たく言った。
「言い遺すことは? お前がかわいがってるサミーに伝えておいてやる」
「できる、はずない……」
ルカは自分を兄と慕うサムエーレ、すなわちラザロの交代人格を溺愛していた。
サムエーレの方もルカを実の兄だと思い込んで懐いている。だがそんなのはラザロには関係ない。
ラザロにとってルカはいつも暴君だった。
「できるよ。シンのためならな。じゃ、ナシということで」
そう言って引き金に指をかけた瞬間ものすごい頭痛と圧迫感に襲われる。
そしてサムエーレが叫び出した。
『お兄ちゃん、ルカお兄ちゃん!』
「クソッ、出てくんな!」
『お兄ちゃんを殺さないで!』
「てめえは出てくんなガキ!」
『お兄ちゃん逃げて!』
サムエーレと体の主導権を争うその一瞬の隙を突き、ルカが距離を詰めてラザロの目の前に立った。
そして拳銃を掴み、自分の胸に当てる。
「ほら撃てよ。撃てるもんならな!」
『ダメーーーーーーーーーーーー!』
脳内でサムエーレの金切り声が鳴り響き、ラザロは思わず耳を塞いだ。
「やめろ、うるせえ!」
「お兄ちゃん逃げてーーーーーーーっ!」
今度は頭の中ではなく声が出る。サムエーレが主導権を取り戻しつつあった。
それに気づいたルカがラザロの、サムエーレの頭を撫でた。
そうして優しく言う。
「サミー、来てくれたのか」
その瞬間、ラザロは意識を消失した。