一か月後ーー。
マウリはシンの友人の居場所を突き止めることに成功し、計画はいよいよ最終段階に入った。
ショウスケが軟禁されているのはスコットランド北東部の森の中、一番近い街から約五十キロ離れた僻地に建つ大きな屋敷である。
元は代々そこの領主だった貴族の所有だったが、交通の便が悪いことから使わなくなり、売りに出されたらしい。
それを買い取り、ショウスケを閉じ込めたのがセイイチ・ホナミという人物だった。
この人物はかなりきな臭く、前科がある上イギリス拠点のテロ組織、自由革命同盟と繋がりがある。
そして、組織に資金援助をする代わりに私兵として使っているらしかった。
そのため、屋敷には組織の構成員たちが常駐し、警備は厳重である。
これを突破し、安全に人質を救出するためには、更に仔細な情報ーー屋敷の間取りや人質の居室の場所などーーがいる。
そのため、次にそれを調べることとなった。
ナポリ市街にある市議会議員ヴェーラの邸宅で食事会が催されたのは、そんな折だった。
ヴェーラは、昔からナポリ市政に深く関わってきた老政治家である。
街に及ぼす影響力は大きく、社会の表にも裏にも通じている。ファミリーとも協力関係にある人物だった。
そのため、こうした食事会や社交パーティにはファミリー幹部が招待されるのが慣例となっていた。
だいたいはルカかアウグストが呼ばれるが、今回呼ばれたのはつい先日海外での大きな仕事を成功させたマウリだった。
そしてなぜかシンも呼ばれている。会の参加者の誰かがシンの美しさを目にしたからだろう。
こういう集まりは変態が多いので、かつてシンがいた店に行ったことがある者がいてもおかしくない。
暇と金に飽かせた上流階級のジジイがアジアに行ってすることといえば買春と相場が決まっている。
だから内心連れてゆきたくはなかったが、父の命で家に連れていくハメになった。
参加者は、ヴェーラと同じく保守派議員のアッバーテと保守党幹部カレルリ侯爵、ナポリ署署長のカヌーティ、そしてマウリとシンだった。
全員が街中の屋敷に招かれ、やがて食堂で食事会が始まる。
参加者は全員正装で食堂の燭台ののった長テーブルに向かい合わせに座り、乾杯を待っていた。
その男達の目はやはりというべきか、マウリの隣の輝かんばかりの美貌の日本人、シンに注がれている。
舌打ちをこらえ、やはり連れてくるんじゃなかった、と思う。本人が気にしている素振りはないが、シンをそういう風に見られるのは嫌だった。
若干イライラしながら待っていると、やがてテーブルの端のヴェーラがおもむろにワイングラスを持ち上げて言った。
「本日はよくぞお集まりいただきました。このたびのマウリ君の素晴らしい成果に乾杯」
「乾杯」
全員がそれにならって盃をあげ、ワインに口をつける。
なかなかお目にかかれないヴィンテージだ。
それに舌鼓を打ちながら食事を始めると、アッバーテが口火を切った。
「聞いたよ、ロスで素晴らしい仕事をしたとか」
「少し出張してきましたよ」
マウリが答えると、ヴェーラが言った。
「マウリ君の仕事はいつも完璧だ。私も幾度か依頼したことがあるがね」
「ありがとうございます。今後もどうぞご贔屓に」
「こちらこそよろしく頼むよ。君は街をよくしている。これからも我々でより良い街にしていこう」
「はい」
マウリは頷いた。ヴェーラは金払いのいい客だし政治力もあるから手を組んで損はない。
ヴェーラからの依頼は主に、政敵やスキャンダルを掴んだ記者の抹消だった。
こうやって政治家と組織が繋がることは珍しくない。
マウリの仕事ぶりを褒める老人たちに相槌を打ちつつ食事を勧めていると、やがて話題はつい先日ナポリの野党議員が失脚した話に移っていった。
当然その手引きをしたのはここにいる者たちである。
カヌーティ署長がワインに舌鼓を打ちながら満足げに言った。
「それにしてもうまくいきましたな。これで民社党の奴らもしばらく大人しくなるでしょう」
それにヴェーラが頷く。
「そうですな。カルドロンの失脚であのリベラルどもの士気もだだ下がりだ。邪魔者も排除したし、あと十年は安泰だ。感謝申し上げます、カレルリ侯爵」
「なに、当然のことをしたまで。あの売国奴は昔から我慢ならなかったのでね」
地元の名士・カレルリ侯爵は、ナポリ市議会のリベラル勢力筆頭、カルドロンの大学時代のおイターー未成年に性行為を強要した件ーーを被害者に告発させる、ということをやってのけていた。
被害者をどうやって説得したのかは知らないが、金でも握らせたのだろう。
だがそのスキャンダルで女性票を失ったカルドロンは見事に失脚した。
今夜はそのお祝いの食事会なのだ。だからシンには何の関係もない。
それなのに呼ばれたのは、ますます下卑た好奇心からとしか思えなかった。
思った通り、話題はやがてシンのことになる。特にカレルリ侯爵はシンに大いに興味を惹かれたようだった。
「して、どういう経緯で九龍のお坊ちゃまがファミリーに?」
「父が懇意にしてまして」
マウリは適当に説明をする。どうせシンの素性は知っているのだろう。
「ああ、なるほど。どうりで見ない顔だった。これほど美しければ覚えているだろうからね。こんなことを言っちゃあなんだが、東洋人を綺麗だと思ったのは初めてだ」
「しばらくこちらに?」
好色さを隠しもせずに自分に注目する爺どもに怯みもせずに、シンは流暢なイタリア語で答えた。
「ええ、もうしばらくおります」
すると、身の程知らずなカレルリ侯爵が誘いをかける。
「そうか。差し支えなければぜひうちのパーティにも来てほしいな」
「ええ、ぜひ」
整髪剤で髪をセットし、いつもはおろしている前髪を上げてタキシードに蝶ネクタイをしめたシンが優美に微笑む。
マウリはシンを睨んだ。
「?」
「黙っとけ」
小声で制止し、マウリは会話に介入した。
「彼は何のことかわかっていませんよ。そういった趣味もありません」
「それは残念。君はどうかな?」
「まあ考えておきます」
カレルリ侯爵のいう「パーティ」とは、郊外の城で月一回催されているいかがわしいパーティだ。
男限定のことも男女混合のこともあるが、毎回様々な「イベント」が催され、変態どもの性欲を満たしている。
この地方に限らず海外からも参加者が集まるため、変態金持ちどもの交流の場といってもいい。
以前は仕事のために行ったりもしたが、必要がなければ行きたくない場所だった。
「君たちふたりが来てくれたら盛り上がるんだけどなあ」
カレルリ侯爵の言葉にアッバーテも同意する。
「本当だ。マウリ君も最近来てくれないな」
もう二度と行くか、と思いながら申し訳なさそうな表情を作って言う。
「申し訳ない。少し立て込んでまして。手が空いたらまた伺います」
「是非に」
カレルリ侯爵は同性愛者の上好色で、若い男とみれば見境なしだ。
マウリも過去幾度も誘われ、そのたび断っているのにしつこくされて辟易していた。
マウリがバルドーニの直系であれば絶対にそんなことはしないと断言できる。
養子であるマウリの立場は弱かった。
「まあそれはともかく、非常に素晴らしい結果だった。マウリ君もお疲れ様。さあ、飲みましょう!」
そう言って盃を上げたヴェーラに他の者たちも同意し、グラスを上げた。
マウリは微笑んで、またいつでもご相談ください、と返した。
それから話題は再び政治のことに戻る。
マウリはあまり口を挟まず適度に相槌を打って食事を終えた。シンもそのあたりはわきまえていて、こういう場に慣れているようだ。
そして食事会が終わると、シンをしつこく誘うカレルリ侯爵をブロックし、さっさと帰りの車に乗り込んだ。
車が発車すると、マウリは深々とため息をついた。そして蝶ネクタイを外し、首元を絞めつけていたシャツのボタンを外して手足を伸ばした。
「まったく。懲りねえなあの変態は」
すると黙っていたシンが口を開いた。
「さっきはありがとう」
「さっき?」
聞き返すと、シンが真っ黒な瞳をゆらめかせながら言った。
星が瞬く宇宙みたいな目だ。
「庇ってくれただろ? カレルリ侯爵から誘われたとき」
「ああ、あいつね」
「でも私行くよ、パーティ」
「はあ?! どんなとこかわかって言ってんの?」
身を乗り出したマウリにシンが頷いた。
「うん、一応調べた」
「なら行くなよ」
「でもお断りするとマウリとお父さんの心証が悪くなるよ。別に慣れてるし、大丈夫」
「慣れてるって……裏社会の人間も多く来る場所なんだぞ。危なすぎる」
「君のお父さんが客人と公言してくれてるから大丈夫だよ」
「だから甘いんだよお前はっ!」
マウリは車の扉を拳で殴りつけた。
ビクッとしてシンが固まる。
しまった、怖がらせたかと思ったが、言葉は止まらなかった。
「法をなんとも思ってない連中なんだぞ、何をしてくるかわからない。それにお前は自分で身を守れない」
「でも……」
「とにかく絶対にダメだ。俺が適当に取りなしておく」
「君がパーティに行くってこと?」
ズバリ聞かれて一瞬口ごもる。
この男はときどき鋭すぎる。
「違う。アイツの弱み握ってるから」
「脅迫とかはやめた方がいいと思うけど」
「口出しすんな。部外者は黙ってろ」
「……ごめん」
しょんぼりしたシンに、なぜか昔飼っていた犬を思い出してマウリは溜飲を下げた。
「いや、こっちこそごめん。怒鳴ったりして。シンがあいつらんとこ行くと思ったら……」
「フフ、いいよ。君はまっすぐだよね。本当にまっすぐだ」
シンは微笑んで許してくれた。シンが他の男に触られることを想像しただけで腸が煮えくり返ってつい大声を出してしまった。こんな相手は初めてだった。
「そうかあ? だいぶひねくれてると思うけど」
「芯の部分がね、まっすぐだと思う」
「ふうん。じゃあストレートに言わせてもらうけど、マジで好き、お前のこと」
「ッ……」
シンは不意打ちを受けたように頬を染めた。
「いつか家族になりたいって思うくらいにマジで好きだよ」
「……でも、男だよ」
「イタリアじゃ同性婚が合法になったんだよ。知らなかった?」
シンの瞳が揺れている。明らかに心揺れているようだった。
「……本当に?」
「ああ。……これは誰にも言わないで欲しいんだけど、俺、人にキスできねーんだ。いや、正確にはできなかった、かな」
「どういうこと?」
不思議そうにこちらを見つめるシンに、マウリは真実を告白した。
「そーゆーことすると記憶が飛ぶっていうか、人格が入れ替わっちまう。解離性同一性障害って知ってるか?」
「聞いたことあるような」
「要は多重人格だな。で、俺の場合はそういう行為が人格交代のトリガーになるみたいで、別の人格が出てきちまう。だから今まで誰ともうまくいかなかった。けど、この前シンにキスしたとき……覚えてるだろ? 俺は俺のままだった。だから運命だと思ったんだよ」
「なるほど……」
病気のことを告白するのは勇気がいった。拒絶される恐怖が大きかったのも事実だ。
だがシンがマウリと付き合う場合、この問題は避けて通れない。
深い関係になればいずれ知ることになるだろうし、その時に他の人間の口から聞いてほしくなかった。
マウリはそのぐらい真剣にシンとの関係を考えていた。
それを伝えるという意味でもこの話は早めにすべきだと思ったのだ。
シンの表情からは何も読み取れない。彼は、少しの沈黙ののちに言った。
「それほど真剣だとは思わなかったから……。ごめん、少し考えさせて。それでちゃんと答えを出すよ」
「わかった。頭じゃなくて心で考えて決断して」
「うん、わかった……」
マウリは頷き、会話を打ち切って窓の外を眺めた。夜も遅い時間だが、街中は明るく、人々や車が忙しなく行き交っている。
マウリは後方に流れ去ってゆく建物の明かりを眺めながら、シンは受け入れてくれるだろうか、とそればかり考えていた。
屋敷に戻ると二人は別れ、それぞれの自室で就寝した。
そうしてまた日常が戻ってくる。マウリはホナミ邸襲撃計画を進めながら、シンの答えを待った。
長い一週間が過ぎ、ついにシンが決断を下すときがくる。
シンの答えは、マウリを選ぶ、だった。