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 しばらくはこうやって揉めてはセックスして仲直り、というのを繰り返し、何とか関係を保たせていた。

 だが、そんな関係は長続きしない。ついに淳哉が耐えきれなくなったのはその年の年末ーー付き合い始めてまもなく九ヶ月になろうかという頃だった。

 

 街がクリスマスムードで浮かれるその日、淳哉は自宅に帰らなかった。その頃、淳哉のマンションで半同棲状態だった彰の待つ家に帰りたくなかったのだ。

 そしてスマホの彰の連絡先を消去し、メッセージも電話もブロックし、強制されていた位置共有アプリを削除し、ホテルに泊まった。

 とにかく一人になりたかったのだ。

 四六時中彰にくっつかれて窒息しそうだった。

 クリスマスイブで主要ホテルは全て埋まっていたため、暗い感じのビジネスホテルだったが構わなかった。

 とにかく彰から離れたかったのだ。

 

 コンビニで食料を買い込んでホテルに戻り、ちびちびビールを飲みながら映画を流し見る。

 そばに彰がいないと驚くほど楽だった。

 適当に選んだ映画に引き込まれて見進めるうち、やがてベッドシーンになる。

 嫌だなと思い早送りをしようとリモコンに手を伸ばしかけたとき、下半身がズクリとした。

 

「………」

 

 その時、画面にはほぼ女性しか映っていなかった。

 淳哉はほとんど無意識でジャージから自身を出し、しごきだした。

 

「っ……」

 

 その刺激でそれがどんどん膨張してゆく。

 そして、最後にひときわ大きな電流が背筋を貫き、熱を放出した。

 

「っ、はあ、はあ……」

 

 心地良い倦怠感と共にやってきたのは、圧倒的な安心感だった。

 そこで多少なりとも自身のセクシュアリティに悩んでいたことを悟る。

 彰の束縛問題の陰に隠れて見えにくかったが、今まで女性が好きだと思いこんでいた淳哉は、男と恋人同士という現実にまだついていけていなかった。

 もし男しか愛せないのなら、結婚して家庭をもつことができない。

 そうなったら親に孫の顔を見せられない。

 仕事がひと段落した後の、当然の未来として思い描いていたことが叶わなくなるのだ。

 淳哉は結婚して子供を持ち、温かな家庭を築きたかった。

 それは、仕事での成功と同等かそれ以上に大切なことだった。

 しかし、疑いもせずに思い描いていたその未来予想図が、彰とのあの一夜で崩壊したのである。

 彰に、自分は確かに欲情した。ならばもう異性愛者ではありえない。

 女性を愛せなければ制度上結婚もできず、家庭も持てない。

 目の前が真っ暗になった気がした。思った以上にショックを受けていたのだ。

 

 だが今、淳哉はどうやら自分が男も女も愛せることに気づいた。

 女性に反応しなくなったわけではない。

 それがわかっただけで、救われたような気がした。

 つまり自分はバイなのだ。

 そして、今は彰のことが好きなのだろう。

 しかし、それが永遠に続くわけではないし、いずれ互いに結婚して、若い頃の火遊びとして笑い話にできる日がくる。きっとそうだ。

 彰も自分もまだ若いのだ。

 だが、それで納得はしたが、束縛がきつすぎるのはこの機会に改善したい。

 そう思い、淳哉は出たものを処理して手を洗うと、一応メモしておいた彰の番号に電話した。

 ニコール目で出た彰はやはりというか、怒っていた。

 

「あっくん、今どこ?」

「外」

「音しないけど」

「ホテルだよ」

「誰といるんだ? 何でこんなことするんだよ。俺、待ってたのに。よりにもよってイブに何でこんなことするんだよ!」

「落ち着けって。一人だよ」

「嘘だ!」

「嘘じゃない。今すぐ動画撮って送れる」

「そんなの、証明にならないだろ。そいつを廊下に出せばいいだけだ」

 

 激昂する彰に、淳哉は落ち着いた声音で、しかしはっきり言った。

 

「そうだ。証明はできない。だから信じてもらうしかない。

 いいか、信頼関係がなきゃ関係は長続きしない。

 もうちょっと自由にさせてくれ。俺は、お前が好きだけど、このままだと恋人としてはやっていけない。

 だからもっと俺を信じるって約束してくれ。それまでは帰れない」

 

 そこで明らかに彰の雰囲気が変わる。

 

「………好きって本当?」

「好きでもない奴とあんなことしない。お前よく俺の気持ちに気づいたな。自分でも気づかなかった」

 

 長い沈黙の後に、彰は言った。

 

「わかった。努力する」

「位置共有は削除する。スマホを勝手に見るのも禁止。飲み会もうるさく言うな。付き合いがあるんだよ。家には好きな時間に帰る。それから、仕事には持ち込まないでくれ。特別扱いされたくない」

「……わかった」

 

 思いのほか素直に受け入れた彰に、この機会に言ってしまおうと最後に言いにくい要求を口にした。

 

「それから……本気で嫌だっつった時はやめてほしい。気分があるだろ」

「ごめん……」

「まあ、今後気をつけてくれれば良いから」

「ああ。今日はそっちに泊まる?」

「いや、帰るよ。何か準備してたんだろ?」

 

 彰は記念日に必ず手料理を作ってプレゼントをくれる。

 これまで付き合ってきた相手にもそうしていたのだろう。

 慣れている感じが鼻につくが、嬉しくないこともなかった。

 

「ああ。ローストビーフ作ったよ。ワインも仕入れた」

「じゃあ食いに帰るわ」

「待ってる」

「ああ」

 

 淳哉は通話を切り、帰り支度を始めた。

 

 ◆

 

 マンションの自宅に帰るなり、彰は犬のように飛んできた。

 そして少し不安げな笑顔でおかえり、と言う。

 ただいま、と返して上がり框を上がると、彰は自分の銀のケースに入ったスマホを取り出し、淳哉に手渡した。

 

「アプリ消した」

「そうか」

 

 確認すると、ホーム画面から赤と青のピンが並んだ四角いアイコンが消えていた。

 

「あと、パスコードも俺は変えないけど、変えていいから」

「まあ面倒くさいしいいよ」

 

 二人のスマホのロック解除パスワードは今、彰と淳哉の誕生日を足した数字になっていた。

 付き合い始めの時に彰が決めたものだ。

 それまでは超無防備に123456だったが、それを変えたのをきっかけに他の色々な暗証番号もそちらで統一していた。

 だから今更戻すと訳がわからなくなりそうだ。

 

「まあ、だな。飯食った?」

「ちょっとおにぎり食べただけ」

「じゃあおかずだけ食えよ。つうかビール飲んだだろ。やっすいビール」

「え、そんなに臭う?」

「プンプン。一回歯磨いてこいよ。その口にキスしたくない」

 

 どうでもいい話をしながら廊下を歩き、彰と別れて寝室に入る。

 淳哉の家は古いマンションの五階にあるこぢんまりした部屋だった。

 グループが売れるまではバイト掛け持ちでかつかつの生活だったので、彰が住むようなタワマンになど住める訳がなかった。

 そして、売れてからも生活レベルを上げたくなくてまだここにいる。

 

 だって、こんなのはただの桐生バブルであり、いずれ弾ける時がくる。

 その時、グループメンバーはそれぞれ真の実力で評価されるようになり、何ら取り柄のない自分は落ちぶれるだろう。

 そうしたら生活レベルを下げなければならなくなる。

 しかし、一度上げた生活レベルは下げられないというのが定説だ。

 だったら最初から上げなければいいというのが淳哉の考えだった。

 

 事務所や彰からは引っ越せと言われているが、近所ともうまくやっているしここを出たくない。

 これだけ露出が増えてもまだ住所が流出していないということは、隣近所の住人が黙っていてくれているということだ。

 だからまだ引っ越すつもりはなかった。

 

 淳哉は寝室に荷物を置き、手を洗って歯磨きをし、リビングへ行った。

 キッチンからは既にいい匂いがしてくる。

 入ってすぐのところのカウンターキッチンで彰が冷蔵庫から出した料理をレンジで温めていた。

 木のお盆を出すと、彰から料理を受け取ってリビングのテーブルに置いた。

 テレビのあるソファテーブルが部屋で唯一の食事場所であり、ダイニングテーブルはない。

 入れるスペースがないのだ。

 その奥はすぐベランダに続く窓で、窓際には観葉植物が置いてあった。

 狭いが、淳哉はわりとこの空間を居心地良く感じていた。

 

「乗り切るかなこれ。お前どんだけ作ったの。一日かかっただろ」

「クリスマスだから」

 

 普段料理をする淳哉は一目で作るのにどれだけかかったかわかった。

 ローストビーフを主菜として、付け合わせの野菜、マッシュポテト、サーモンのマリネ、オニオンスープ、数種のカナッペが並ぶ。

 一日は大袈裟としても数時間はかかっただろう。

 

「こんなことする奴だったんだな」

「どういう意味?」

「いや、意外というか……」

 

 友達としてしか付き合ったことがなかったからか、こういう一面は知らなかった。

 単なる束縛男でもなかったらしい。

 

「俺、尽くすよ」

「ああ、そう……。ありがとな、こんなに。いただきます」

「あっくんのためだったらマジで何でもできるから」

「重いって。ていうか聞いたことなかったけどいつから?」

 

 クリームチーズのカナッペをつまみながら聞く。

 すると、隣でワインをあけていた彰は一旦動きを止めて答えた。

 

「一年前。スパロウに入った時だよ。ダンスとかキレキレで、お前めちゃくちゃ格好良かった」

「へえ」

「いやそれだけ? もっと何かあるだろ。俺のことはどう思った?」

「イケメンじゃねえ?」

「誰よりも?」

 

 そう言って彰が顔を近づけてきたので手で押し戻す。

 見慣れた顔のはずなのに、時折全く別の男に見える時がある。

 熱を帯びた視線が体を焼くようだった。

 自分の気持ちを自覚した途端にこういうことが猛烈に恥ずかしくなっている。

 

「あ、ああ。もういいだろっ」

「今晩はクリスマスプレゼント、くれるんだよな? 物じゃないプレゼント」

「わかったから変な空気出すな!」

 

 肩にかかった手を払ってがむしゃらにローストビーフを食べる。

 こういうことをされるとどうしていいかわからなかった。

 友人でいた期間が長い分、気まずくて仕方ない。

 

「照れてる?」

「照れてない」

「嘘だろ。顔真っ赤。マジ可愛い」

 

 淳哉は無言で彰の頭をはたき、その口にローストビーフを突っ込んだ。

 

「むぐっ! 何すんだよっ」

「もう喋るな」

 

 抗議する彰を無視してテレビをつける。

 雑音なしの空間に耐えられなかった。

 チャンネルを回し、一番変な雰囲気にならなそうなお笑い番組にする。

 そして、無理矢理話題を変えた。

 

「あ、この芸人さんこの間共演したな。めっちゃ面白かった」

「ああ、すごいよな。秒でツッコミがくる。俺たちのグループにもこういう強いツッコミ欲しいよな。あっくんできる?」

「無理。お笑いセンスゼロって知ってるだろ」

「いや、ツッコミは結構いいセンいってるよ。俺に対してだけだけどな」

 

 彰はそう言って笑った。

 そしてワインを開けて二人分のグラスに注いだ。

 それに礼を言って乾杯する。

 ビンテージの赤ワインは香り高くて今まで飲んだことのないまろやかな味がした。

 高級なものだろう。

 

「美味い。こんなの初めて飲んだ」

「よかった。五十年ものでなかなか出ないやつなんだけど、お前に飲ませたくてさ」

「へ、へえ……」

 

 また変な雰囲気になってきた。

 彰を横目でチラチラ見ながらワインをごくごく飲んでいると、笑う気配がした。

 

「反応が女子中学生なんだけど」

「……お前こそ手慣れすぎだろ。仮にもアイドルやってて何人食ったんだよ。ファンへの裏切りだろ」

「はは、真面目だなあ。でもそういうところが好きだよ。綺麗で、めちゃくちゃ好き」

 

 また体を近づけて耳元で囁き始めた彰を押し返す。

 

「食事中はやめろ」

「いつならいい?」

「それはっ、だからっ……わかるだろ!」

「わかんねえ。教えて?」

「お前はっ……何でこんなにチャラいんだよっ。好きとか軽々しく言うな! 火遊びにしたって相手にもうちょっと敬意を払えよ。俺の反応見て楽しんで……マジ性格わりぃ」

 

 その言葉に、彰は真顔になった。

 俯くと、外では上げている前髪が目にかかって表情が見えなくなる。

 彰はワイングラスを置き、言った。

 

「遊びじゃねえよ」

「遊んでるだろ、俺で」

 

 すると彰は顔を上げ、淳哉を見据えて言った。

 

「何勘違いしてるか知らねえけど、俺本気だよ。遊びじゃない」

「………」

「ビビってる?」

「いや……。俺も付き合うんだったらちゃんと付き合いたいし。悪かったよ、疑って」

 

 そう言うと彰はパッと笑顔になった。

 ビー玉みたいな目がキラキラしている。

 こういう表情は久しぶりに見たな、と思った。

 

「いいよ、わかってくれたら。俺もちょっと余裕なかったし、お互い様ってことで」

「けどマジでバレないようにしないとな。バレたらお前のファンに殺されるわ、俺。盗聴器とかねえよな?」

 

 急に不安になって部屋をあちこち見回すと、彰にいきなり抱きつかれた。

 

「お前、マジで可愛いわ」

「っとっとっ。なんだよいきなり。あと可愛いもやめろ」

「じゃあ格好いい」

「言い方一緒じゃねえか」

「まあまあ」

「薄々思ってたけどお前俺をナメてるよな?」

「そんなわけないだろ」

「いやナメてる。まあ、確かにキャリアはお前の方があるかもしれないけどさ……」

「表ではちゃんと立ててるだろ」

「どこが?! 頭撫で撫でとかしやがって……。俺一応リーダーだからな?」

「ファンサだよファンサ。さわさわコンビってハッシュタグあるの知ってる?」

「え、そうなの?」

「ダメだなあ。アイドルとしてSNSはちゃんとチェックしないと」

 

 彰はムカつく笑顔でスマホを操作し、淳哉とのツーショット写真切り抜きで埋め尽くされた画面を見せた。

 仕事プライベート問わずくっついてくる彰と肩を組んだ写真や、料理を食べさせている写真や、後ろから抱きつかれている写真などが延々続いている。

 中には投稿者が入れたらしい台詞やハートマーク付きのものもあった。

 そして、さわさわ尊い、とか書いてある。

 

「えっ、こんなことになってんの? ヤベーじゃん、バレる。つーかバレてる?」

「まさか。ガチなんて誰も思ってない。だからこんなん作れるんだろ」

「まあ、それもそうか」

「ああ。だからファンサ、頑張ってこうな?」

「ファンサっつーかいつも通り……。何でみんな騒ぐんだよ。幼なじみなんてこんなもんだよなあ?」

「俺らがイケメンだからだろ」

「痛い」

「何だよ事実じゃん。まあとにかく、たまにはSNS見とけよ」

「待って、この写真めっちゃいいじゃん。保存して俺のスマホに送っていい?」

「ご自由にどーぞ。あ、これなあ。面白かったよな、身体測定企画。拓さんの記録すごすぎてビックリした」

「ハードルで全国いっただけあるよな。幅跳び半端なかった……」

「上体そらしもエビみたいになってたじゃん」

「そういやお前意外と体硬いよな」

 

 彰は昔から体が硬かった。だからよく体育の柔軟でからかったりしていた。

 スポーツ万能で成績もそこそこよく、他にも突っ込みどころがなかったせいもある。

 幼い頃から隣で比較され続けて、勝てたことは数えるほどしかない。

 そのうちのひとつがダンスだった。

 

「ストレッチしてるんだけどな。体質かなあ」

「ヨガできる? 俺めっちゃできるぜ」

「え、わかんない。やったことない。どんなの?」

 

 淳哉はその場で鳩のポーズをやってみせた。

 

「こんな感じ」

「へえ、すげえ。俺もやってみる。……って、イタタタタ!」

「いや、これ結構上級向けだから。最初は犬とか猫のポーズあたりから入った方がいいんじゃねえ? 犬は、こうやって四つん這いになって息を吸い込んで背中をふくらませる。で、猫はこう。息を吐きながら背中伸ばして……」

「ふうん、こう? あ、これめっちゃ背中伸びる。気持ちいー」

「いいだろ? これセットでやるといいんだよ」

「もっと他も教えて」

 

 ヨガの話になってホッとする。

 こうしている方が気楽だった。

 彰に性の部分を見せられると気まずいし、どうすればいいかわからなくなる。

 何がきっかけだったのかはわからないが、元に戻って良かった、と思った。

 最近の彰は鬼気迫る感じで正直怖かったのだ。

 しかしともかくはこれで一件落着と安堵した矢先に、再び二人を仲違いさせる出来事が起きた。

 トラブルは、淳哉が売れっ子脚本家・芹沢恵一のドラマのオーディションの誘いを受けたことから始まった。