芹沢恵一は、当代を代表する脚本家の一人である。
四十代後半と歳はいっているものの、若者の感性を捉えることを得意とし、コメディ調の恋愛ミステリーのヒット作をいくつも世に送り出している売れっ子作家だ。
ヒットメーカーとして脚本に名を連ねぬ年はなく、今年の春ドラマにも携わることが決まっていた。
名前を知っていたのは、優馬の叔父が彼と懇意にしていたからだ。
何度か食事を共にしたこともある。
夏川エンターテインメントの取締役会長である叔父は、社長である義弟と共に、事務所所属アイドルの売り込みを入念に行っていた。
真面目な気質の父がいい顔をしないところを見るに、単なる会食以上のこともしているようだ。
しかし、詳細は知らなかった。
叔父は、小さい頃からエンタメ業界に興味のあった優馬を経営側に引き込もうとしたのだが、父がそれに反対したのだ。
芸能界などとんでもない、と言い、遠ざけるために優馬を留学させるほどだった。
それが、中学生の頃だ。
だが生憎、入れられた寄宿学校は、音楽の本場ロンドンの郊外にあった。
欧州は全般に日本よりも音楽活動が盛んであり、クラシック、ポップスを問わず、毎日どこかしらで気軽に入れるミニコンサートが開かれている。
そこで、優馬は音楽院生やミュージカル俳優達と友達になり、そのつてで劇場に入り浸るようになった。
そうして、ますます歌とダンスへの情熱を高ぶらせて帰国したのである。
これは、父親にとっては大きな誤算だった。
芸事から遠ざけるつもりが、逆に近づけてしまったのだ。
彼は、高校三年間、口を酸っぱくして歌手やアイドルというのはまともな職業ではない、お前は日本を背負って立つ官僚になるのだ、と説得し続けたが、優馬は折れなかった。
優馬からすれば、公務員ほど退屈そうな職業もない。
どれだけ偉いかは知らないが、やることといえば上から指示された事務作業と、国会準備と、政治家へのレクばかり。
何のクリエイティビティもない。
そんな仕事をするくらいなら、道端で歌っている方が余程いい。
こういう考えだから、父親とは相容れなかった。
それでも、険悪だったわけではない。
父親は苦労の末にできた子供だった優馬をことのほか可愛がったし、優馬もそれはわかっていた。
だから、優秀な弟がいなければ、期待に応えるために努力しただろう。
だが、好都合にも優馬には歳の近い弟、冬馬がおり、優秀で、かつ公務員志望だった。
現在は国内最難関とされ、最も多くの高級官僚を輩出している父の母校の大学で学んでいる。
この弟の存在が、優馬が親不孝ができる理由だった。
弟には悪いが、人身御供になってもらおうと思っている。
それに、本人もそれを望んでいるから、あまり差し障りもなかった。
それで優馬は高校卒業後は進学せず、それまでに貯めたお金で夏川エンターテインメントの門を叩いたのだった。
しかし、はじめは、夏川に来るつもりはなかった。
父が叔父の事業についてよく思っていなかったからだ。
公務員一筋の彼には理解出来なかったのだろう。
できるだけ優馬を叔父に関わらせないようにしてきた。
だから父の意向を汲み、夏川以外の事務所に優先的に応募した。
だが、悲しいことに、どこにも受からなかった。
そして、最後の最後に受けた夏川にだけ引っかかったのだ。
これには大いにショックを受けた。
どこもかしこも面接にさえ進めなかったからだ。
アイドル事務所だけでなく、一般的な音楽事務所まで、一次選考で落ちた。
容姿はともかく、歌唱力とダンスにはそこそこの自信があった優馬は打ちのめされた。
芸能界の壁はこれほどまでに厚かったのか、とショックを受け、人生の方向を見失いかけてしまった。
そんな優馬の様子を見かねた母が夏川事務所に願書を送ってくれたのだ。
そして、最後の最後で受かった。
父は当然いい顔をしなかったが、優馬があまりにしょぼくれていたのに同情したのか、強く反対はしなかった。
そうして、優馬は芸能界の入り口に立ったのだった。
これに、叔父の夏川良樹は大いに喜び、以来食事に誘われるようになった。
父には悪いと思ったが、優馬は断らなかった。
会食には、テレビ局の幹部や他のプロダクションの社長、はたまた芸能人が来ることもあってとても楽しかったからだ。
父に釘を刺されているのか、込み入った話になることはなかったが、元々芸能界に憧れがあった優馬にとっては夢のような体験だった。
芹沢は、そういう会食の場にしばしば顔を出す作家の一人だった。
赤ら顔に太鼓腹、薄くなった頭部に陽気な性格と、見た目はどこにでもいそうな中年男なのに、その頭の中には壮大な宇宙と創造性があった。
誰も思いつかないような奇想天外な設定や展開、アイデアが湯水のごとく溢れ出してくる。
書いても書いても、その源泉が尽きることはないようだった。
いわゆる、天性の作家というやつだ。
学生時代も、こういうタイプの作家の卵がいた。
それをさらに磨き上げ、洗練させたような存在だった。
話はいつも面白く、優馬はこの作家に好感を持っていた。
だから、新作のオーディションに呼ばれた時、何としてでも合格したいと思った。
芹沢は、事務所にある程度忖度してくれるが、タダで役をくれる脚本家ではない。
それはわかっていた。
だから、渡されたオーディション用の台本を隅から隅まで読んで役作りをしていった。
優馬に割り当てられたのは、恋人を亡くした青年役だった。
恋人を亡くした未解決事件の真相を知るために、主人公の探偵に調査を依頼するという役どころだ。
主要キャストではないが、ある種その回の主役ともなる役であり、そんな大きな役を受けさせてもらえることに驚いていた。
優馬がこれまでに映像作品に出たことはなく、今回がいわばデビュー作だ。
だから芹沢は優馬の演技を見たことがない。
それなのにこんなに大きな役のオーディションに呼んでくれるということは、期待してくれているのかもしれない。
そう思うと緊張してくるのだった。
優馬は、落ち着かない気分でオーディション当日を迎えた。