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 その他の楽屋挨拶は幸い滞りなく終了し、二人は撮影スタジオに向かった。

 撮影機材に囲まれたセットは『城山探偵事務所』と書かれた磨りガラスの窓がある探偵事務所そのものだった。

 書類が山積みになった所長の机が奥にあり、その手前に各所員の机の島がある。

 それぞれの机は、例えばおばあちゃん子の主人公、城山霊人の机には七福神の置き物があったり、ヒロイン、佐久間心の机は可愛らしい感じだったり、主人公のライバル相川怜治の机は殺風景だったりと、キャラクターの特色が出る形になっていた。

 

 その中で、今回優馬が演じる恋人を亡くした平凡な男、篠崎純也の机には、亡き恋人の遺影が飾られている。

 純也は恋人を亡くした事件の真相究明のために城山に霊視捜査を依頼し、それがきっかけで探偵事務所に入るという筋書きだった。

 そのため、ロケや他の撮影スタジオでの撮影も入っているが、スケジュールの都合上、そのエピソードの撮影は後回しになっていた。

 つまり、時系列を前後しての撮影となる。これには戸惑いもあったが、よくあることのようなので慣れるしかないだろう。

 スタジオには、ヒロイン役の神崎くるみとその友人、名雲えり役の小松桐花だけが既にスタンバイしていた。南野と、東田を含む年配の出演者達、そして監督の郷田はまだである。

 優馬と彰は撮影スタッフに挨拶をしながらセットに入った。彰は二人とは親しいようで、気安い挨拶をしてから二人に優馬を紹介した。

 

「この子、今日から撮影に入る赤城優馬君。スパロウの最年少メンバーで今回演技初挑戦なんだけど、お手柔らかによろしく」

「赤城優馬です。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!」

 

 行く先々で彰が紹介してくれることにほっとしながら頭を下げる。すると、二人はよろしくお願いします、と微笑んで挨拶を返してくれた。二人とも若く、ちょっと見ないような美人である。

 二人とも二十代半ばでありながらキャリアは長く、安定した演技に定評のある若手の女性俳優だった。神崎の方は清純で爽やかなイメージからCM起用も多く、テレビを見る人なら一度は顔を見たことがあるような俳優だ。

 優馬は舞い上がりそうになるのを抑え、会釈を返した。特に神崎は顔の半分を占めようかというほどに目が大きく、驚くほど可愛らしい童顔である。こういう顔だったらなぁ、と思っていたような顔だった。

 その神崎は目をきらきらさせながら優馬を見た。

 

「赤城君、歌上手いですよね」

「えっ? 知ってくれてるんですか?」

「はい。CD買いました」

「へ、へえ……」

 

 優馬はスパロウに加入した当初、リードボーカルをしていたが、三枚目のシングルを出す頃からはメインボーカルになっていた。元々のメインボーカルは東條だったが、それに加えて優馬もメインで歌う、という二人体制になったのである。

 この頃は曲の一番のサビは東條、二番は優馬、のような歌割りも多かった。得意な歌で評価されているというのは素直に嬉しい。

 それを聞いてくれている人が目の前にいるという事実に、優馬は浮き足立った。

 すると、彰が手前の左端の机を指し示しながら、こちらを見てにやりと笑った。

 

「あ、優馬君の机ここね。座りなよ。あと、神崎には気をつけろよー。こいつ意外と肉食だから」

 

 すると神崎が彰をギロッと睨む。

 

「ちょっと、風評被害なんだけど」

「俺介して知り合おうとかしてただろ」

 

 彰の言葉に、神崎の向かいに座った小松が驚いたように声を上げた。

 

「くるみちゃんそんなことしてたの!?」

「しーーっ! 違うよ、ほらサインを貰おうと思ってぇ……」

 

 神崎が気まずそうに弁明する。優馬は何が起きているのかわからずに混乱した。

 そんな優馬を置いてきぼりにして彰が神崎をからかい続ける。

 

「ほら、今貰えよ。目の前にいるじゃん」

「でも迷惑だから……」

 

 そこでようやく声が出るようになる。

 

「いや、迷惑じゃないですよ。でも僕なんかのでいいんですか?」

「なんかの、じゃない。優馬君のが欲しい……」

 

 そう言って潤んだ大きな瞳で上目遣いにこちらを見る。その庇護欲をくすぐるような表情に、いったい何人のファンがこれを言われたいだろう、と思う。

 だが、言われたのは今まで女性に一度も惹かれたことのない優馬だった。

 可愛いとは思う。だが、それは性的に惹かれる「可愛い」ではなく、自分がなりたい「可愛い」なのだ。

 性別に違和感を持ったことはないが、もっと可愛い男、いわゆる「男の娘」になれるような男に生まれたかったとは常々思っていたから、まさに理想の顔を持つ神崎にはそういう意味での羨望しかない。

 だから、好意を向けられることに少し複雑な思いもあった。

 

「ええと、じゃあ撮影終わったらでいいですか? 今ちょっとペンとかもないし……」

 

 すると、神崎は顔をパッと輝かせて頷いた。

 

「じゃあ楽屋行ってもいいですか?」

「あ、はい。じゃあそこで……」

 

 すると彰が口を挟む。

 

「俺も付き添うわ。優馬君が襲われないように」

「そんなことするわけないじゃない! 来ないで」

「行く」

「来んなし」

「行くし」

 

 その二人のやり取りを見て、小松がくすくす笑いながら小声で言う。

 

「仲良いよね~。二人付き合ってるのかな?」

「はは……」

 

 確かに彰と神崎はかなり気心が知れた仲のようだ。当て馬にされている感がなくもない。

 こうして見てみると二人はいかにもお似合いのカップルだった。美男美女で年も近く、そのやり取りはまるで夫婦漫才のようだ。

 もしかしたら本当に付き合っていてカモフラージュのために仲が悪いふりをしているのかもしれない。

 しかし、スパロウが上り調子の今、そういったスキャンダルは致命傷だ。ましてや彰は、スパロウの元々のファンから一番風当たりが強い。

 もし熱愛報道が出たらネットでかなり叩かれることになるだろう。

 どうかそんなことになりませんようにと祈りながら二人のやり取りを眺めていると、間もなく主役の南野がやってきた。

 

「お疲れーっす」

「あ、お疲れ様です、南野さん」

 

 神崎が挨拶を返すと、南野は笑顔で話しかけた。挨拶した他三人はガン無視である。

 

「くるみちゃん昨日大丈夫だった? ロケの時随分寒かったから体調大丈夫かなーって心配してたんだけど」

「大丈夫です! 南野さんこそ大丈夫でした?」

「平気平気。今日はあったかい場所で撮影、いいなぁ」

「このセット、すごく素敵ですよね。照明なんかおしゃれなカフェみたいで」

「ああいう感じ好き?」

「はい。うちもあんな感じなんです〜」

「へえ、どこで買ったの? 俺も探してるんだけどさぁ、なかなか見つからなくて。いい店知ってたら教えてよ」

 

 南野は明らかに神崎に好意を抱いているようだった。先ほど優馬達と話した時とはまるで別人のように愛想がいい。

 神崎の方も満更でもない様子だ。ふと彰の様子が気になって見てみると、薄い笑みを浮かべて二人を見ていた。

 仮に神崎が恋人だとすれば絶対に取られない自信があるような表情だ。余裕たっぷりの立ち振る舞いはまさに大人の男という感じで、どきどきしてくる。

 桐生連時代から憧れていた本人は、画面を通して見る以上にイケメンだった。並べばほとんどの男は霞む絶世の美男子。手の届く距離で一緒に仕事をしているということが未だに信じられない。

 

 だが、夢を見ることはない。男に興味があるわけがないからだ。

 世の男性の八割以上はノンケ、つまり恋愛対象が女性である。彰が少数派である可能性は低いし、よしんばそうであったとしても自分のような地味な人間とはとても釣り合わない。

 こういう相手には恋するだけ無駄なので、目の保養になってもらうことにする。

 それにしても本当にイケメンだなぁ、と思いながら横顔を眺めていると、視線に気付いたのか相手がこちらを見た。

 

「緊張する?」

「あ、そうですね……」

「大丈夫。頑張ろうな? 俺もフォローするし」

「ありがとうございます。足引っ張らないように頑張ります」

「まあ気負わずにね」

 

 安心させるように微笑みかけられて、緊張がほぐれるのと同時に別の意味でドキドキしてくる。

 正直、こんなに優しくて気さくな人だとは思っていなかった。グループ活動の時はまとめ役として細やかなフォローもしてくれているリーダーの陰に隠れて気づかなかったのだ。だが、彰の方も随分と周りに気配りができる性格らしい。

 なるほど、リーダーと彰の仲が良いわけだと納得する。根本的に性格が似ているのだろう。

 だが、いつもは引くぐらい仲の良い二人も今は冷戦状態である。役を盗った盗らないの話で揉めてから、表面上取り繕ってはいるが明らかに微妙な空気になっている。これをどうにかしたいのだが、斉木達に真実を伝えるべきかどうかは迷っていた。

 喧嘩の顛末を話せば、十人中八人は彰が悪いと思うだろう。オーディションの結果、相川怜治の役は淳哉にほぼ決まりだったにも関わらず、オーディションも受けていない彰に渡ったことはほぼ確実だったからだ。

 その際に、南野が言うような手法を使ったとは思わなかったが、元々芹沢と親交のある彰が便宜を図ってもらったとしても全く不思議はない。

 斉木達がそれを知った時、グループ内に亀裂が入らないか心配だったのだ。初期メンバーは当然淳哉の肩を持つだろう。そうなったら彰は孤立する。そうなって欲しくなかった。だから、伝えるべきだとは思いながらも言えずにもやもやしているのだった。

 

 しかし、わからないのは、彰がなぜ親友の役を横取りするような行為をしたのかということである。

 確かにスターライトレイヤーズ卒業前の全盛期に比べれば、彰の仕事量は少ない。

 しかし、スパロウとして売れ始めてからは俳優やモデルの仕事もどんどん入るようになり、最近映画の話も決まったところなのだ。グループ内では一番売れているといっても差し支えなく、淳哉の仕事を横取りする必要性を感じない。

 それなのになぜあんなことをしたのか。

 この作品に何か特別な思い入れでもあるのだろうか? もしくはその作り手に何らかの思い入れがあるとか?

 そこで南野の言葉が脳裏をよぎる。

 

『俺知ってるんだぜぇ、お前が芹沢と寝て役貰ったこと』

 

 あの時、彰は否定しなかった。あんなとんでもない侮辱を受けているのに否定もせずに笑っていた。普通ならありえないことだ。自分ならあんなことを言われたら憤慨するだろうと思う。

 それなのに彰は怒るどころか笑っていた。それは彰流の処世術なのか? それとも……それが真実なのか?

 そんなことはありえないと思う。だが一方で、彰ほどの美男子ならば血迷う輩がいてもおかしくないとも思う。

 優馬が芸能界に入りたいと言った時、父親は再三汚ない世界だからやめておけ、と言った。そして父はスパロウ他多数のアイドルグループを擁する大手アイドル事務所、夏川エンターテイメント会長の弟である。何か知っていたとしてもおかしくはない。

 優馬自身、枕営業などというものは都市伝説だと思っていたが、一方でロンドンにいた頃知り合った女性のミュージカル俳優から舞台監督と付き合っている、と聞いたこともあった。

 それがそういったものだったのかはわからない。だがその俳優は三十そこそこで監督は六十過ぎだった。一般的には考えられない年齢差である。そしてその俳優は主役の座を勝ち取っていた。

 また、高校時代、長期休暇を利用してロサンゼルスの演劇学校の短期セミナーを受けたこともあったが、その際に知り合った役者の卵の中には、上に行くために利用できるものは何でも利用する、と宣言していた人もいた。

 優馬としてはその感覚は全くわからないが、そういう人達がいることは知っている。だから、南野の言ったことが絶対にありえないと断言はできなかった。

 

 芹沢はヒットメーカーとして有名だ。だから、一度は芸能活動を休止した彰が本格復帰への足がかりにしたいと思っても不思議ではない。

 不思議ではないが、そうであって欲しくはなかった。叔父の友人である芹沢がそんなふうに性的搾取をするような人間だとは思いたくないし、彰が簡単に親友を裏切る人間だとも思いたくない。そんな自分は甘いのだろうか? 

 優馬はそんなことをぐるぐると考えながら、やがてやってきた監督と年配の俳優に挨拶をし、いよいよ始まった撮影に臨むのだった。