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 会社の建物を出ると、肌に突き刺さるような寒さだった。裏手の出入り口から出たが、出待ちのファンが十人くらい待ち構えていて、たちまち囲まれる。

 

「彰く〜ん!」「彰君格好いい」「優馬君!」

 

 七対三ぐらいで彰のファンが多かったが、優馬のグッズを身につけている子もいる。

 今日事務所にいることは公式に上げていないので、常にそのチャンスを待っているガチ勢だろう。

 どうしたものかと固まっていると、彰は愛想良く笑ってサインと握手に応じた。

 

「わざわざ来てくれてありがとねー。写真はごめんね」

 

 そしてたっぷりファンサービスしたのち、爽やかな笑顔で帰るように促す。

 

「今日はありがとう。気をつけて帰ってね」

 

 彰がそう言うと、女の子達はまるで魔法にかけられたようにすんなり帰っていった。

 

「すげぇ……ちゃんと教育してますね」

 

 思わず言うと、帰ってゆくファン達に手を振っていた彰が振り向き、苦笑した。

 

「教育って……」

「移籍会見の時もリーダーを批判しないように釘刺してたし、ちゃんとしてるなって」

「まあ……あんまり過激になっちゃうと困るからね」

「過激になる気持ちもわかるけどなぁ。彰さん格好いいし」

「はは、褒めても何も出ないよ?」

「事実ですから」

「君はまたそういうことを……」

 

 もう少し練習したかったなぁ、と思いながらタクシーを待っていると、それを感じ取ったかのように彰が言った。

 

「ちょっと早いけど飯食ってこの続きする?」

「えっ、いいんですか?」

「明日から撮影なら読んどかないと不安だろ? 個室貸し切れる飯屋知ってるからよかったらそこででも。……もし嫌だったらいいけど」

 

 最後に付け加えた言葉がなんとなく気になりつつ、首を振る。

 

「嫌だなんてそんな! ぜひお願いしたいです」

「オッケー。じゃあそうしよう」

 

 そこでちょうどタクシーが到着し、彰が行き先を告げる。事務所から車で二十分ほどのところにある料亭のようだった。

 いかにも高そうな店名に、隣に座る彰にこそっと言う。

 

「あの、僕、手持ちがあんまり……」

「何いってんの、奢るよー」

「あ、すみません。じゃあごちそうになります」

 

 そう言って頭を下げると、彰がくすりと笑った。

 

「優馬君ってめっちゃ礼儀正しいよなぁ~。一年たってもこれとは思わなかった」

「あ、これはその……」

「でもいいことだよ。この世界って意外と上下関係きっちりしてる人が多いから丁寧すぎることはないっつーか。でも俺にはそんなかしこまらなくていいよ」

「そんなわけにはいかないです。彰さんは……雲の上の人ですから」

 

 すると彰が吹き出す。

 

「ははっ、雲の上って。俺死んでんの?」

「いえ、そういう意味ではなく……」

「冗談。マジで可愛いよ、お前」

 

 そう言って愛しげに頭を撫でられて、心臓が早鐘を打ち始めた。

 

「な、なんですかそれ……」

「皆そう思ってるよきっと。なーんかずけずけ言うときもある割に変なところで丁寧なんだよなぁ。おもしれぇ」

「すいません、色々口出しして……」

 

 淳哉との喧嘩を追及したことを言われたのだろうと思って謝ると、彰は目を細めてこちらを見た。

 

「謝んなよ。そういう風に思ったこと言えるっていいと思うなぁ。俺はそういうのできねーし。いっつも人の顔色窺ってペコペコしてるだけ」

「そんなことないですよ。彰さん、皆に好かれてますし」

 

 思いがけない卑屈な言葉に、少し意外だなと思う。彰はもっと自分に自信満々のタイプかと思っていた。

 

「そりゃ、都合いいことしか言わねえからな。八方美人で、たまに嫌になるよ。だから優馬君の言いたいこと言える性格、ちょっと羨ましい」

「留学してたことがあるからかもしれませんね」

「イギリスいたんだっけ?」

「はい。イエス・ノーはっきりしてる文化で、自分の意見持ってなきゃ大人とはみなされないみたいな空気だったんで、そのせいかも。だから日本の高校にはあんまり馴染めなかったですけどね」

「そうなんだー。すげー、じゃあ英語ペラペラ?」

「いや、使わないと忘れますよ」

「でも日常会話ぐらいはできるんだろ?」

「まあ、多少は……」

 

 すると彰は目を輝かせて言った。

 

「すげーよ、優馬君。外国語できる人って憧れるなぁ。優馬君頭もいいし、マジで出来すぎ君だよなぁ」

「えっ、何ですか?」

「出来すぎ君。何でも出来る人、みたいな」

「それ、猫型ロボットアニメのキャラですよね?」

「ふふっ、そう。そこからとった」

 

 楽しげに声を弾ませる彰に、どんどんどんどん心惹かれてゆく。観賞用の芸術品として接するつもりだった。それが一番平和で、自分も傷つかないから。

 だが、こんなに生き生きと魅力的な姿を見せられては無理そうだった。

 グループ加入当初に淳哉に感じた淡い憧れとは全く違う、心臓を鷲づかまれるような強い感情が心を支配する。そしてこの人の全てを知りたい、すべてを分かち合いたい、キスしたい、触れたい、という欲望が湧き上がってくる。

 ああ、これが恋なのだ、と自覚した。

 優馬が動揺しているのも知らずに彰は呑気に話を続ける。

 

「あのアニメいいよね。俺思うんだけどさあ、主人公めっちゃ勝ち組じゃね? 何もできないダメダメ君なのに、恋人も、何でも叶えてくれるスーパーロボットもゲットしてるじゃん。ぜってぇ出来すぎ君とかより恵まれてると思う」

「確かに、すごく運が良い子ですよね。なんか現実世界でもそんな気がしません? 運で結構人生決まるというか」

「そうかなぁ?」

 

 優馬は頷いて続けた。

 

「僕はそう感じます。その最たるものが彰さんがうちのグループに来てくれたってことじゃないですか? 正直、彰さんが来てくれなかったら鳴かず飛ばずで終わったと思います」

「そんなことないよ。いつか売れたと思う」

 

 彰は思いのほかきっぱり否定した。だが、優馬はそうは思えなかった。

 

「僕は、彰さんがスパロウに幸運を運んできてくれたと思います。だから人生運だなって」

「……不運じゃなくて?」

「……?」

 

 何を言い出すのかと彰を見ると、彼は少し顔をうつむけて言った。

 

「……俺が何て言われてるか知ってる? 『スパロウを乗っ取った屑』――そういうふうに思われてる」

「えっ、そんなの聞いたことないですけど?」

 

 ファンの間でそんな話は聞いたことがない。だが、彰は首を振った。

 

「エゴサするとさ、そういうの一杯出てくるんだよ。スパロウの初期メンについてたファンは俺のこと認めてないって……。俺が落ち目だから話題作りのために移籍したって……。だから……」

 

 ぼそぼそと続けようとする彰に、優馬はきっぱり言った。

 

「彰さん、エゴサはやめましょう。精神衛生によくないです」

「けど……世間の声を知らないと」

「その世間って正直すごく狭い範囲だと思いますよ。『ラウドマイノリティ』って知ってます? アンチの声はでかいけど数は少数っていう話です。芸能人は何かと叩かれがちだけど、実際叩いてるのはほんの一部なんですよ。そういうデータも見たことあります。だから、応援してくれてるファンが大半なんで心配しなくていいですよ」

 

 すると、彰は少し顔を上げた。

 

「そう、なの……?」

「はい。だいたい自分の人生うまくいってない人が憂さ晴らしでそういうことしてるだけですから、気にするだけ時間の無駄です。僕なんかも絶対『何でモブ顔なのにスパロウにいんの?』とか書かれてると思いますけど、見なければないのと同じなんで」

「プッ、モブ顔って。いや、優馬君は恰好いいよ」

「いやそれを彰さんに言われても……」

「塩顔のイケメンっていうのかなぁ? 俺は格好いいと思うよ。歌もダンスもうまいし若いし、ファン多いじゃん。あの神崎とかも気に入ってるみたいだしさ」

 

 そこでふとドラマの共演者の神崎くるみと彰が親し気に話していた光景が頭に浮かぶ。付き合っているんだろうか?

 

「そういえば彰さんって……その神崎さんと仲良いですよね」

「そうかぁ? 腐れ縁って感じだけど」

「すごくお似合いで……ちょっと嫉妬しました」

「あ、神崎タイプ? じゃあ両想いじゃん、良かったな。あいつ結構ガチだと思うよ」

「……彰さんは?」

「え、俺? 俺は全然。顔の系統似てるからか、全然タイプじゃないんだよね。妹見てるみたいで」

「あ、妹さんいるんですね」

「いや、いたらあんな感じかなーって」

 

 どうやら彰は神崎に全く気がないらしい。それに少しほっとしている自分がいる。

 そんな権利は元々ないのだけれど。

 

「なるほど。確かに正反対の顔に惹かれるというのはあるかもしれませんね」

 

 例えば彰とか。

 

「俺繫ごうか? あいつと」

「……いえ、いいです」

「何で?」

「絶対にスキャンダル出したくないんで」

 

 それは半分嘘で半分本当だった。スキャンダルを出したくないのは本当だ。だが、女性を愛せないという理由もある。

 だから半分本当の答えだった。

 

「そっか……。ちゃんとしてるな」

「全然人にもそうして欲しいとかはないんですけど、自分のポリシーで。アイドルって仮想彼氏を演じる職業だと思ってるんでそういうのは隠し通さないといけないけど、僕にはその自信がないので」

「……」

 

 すると、思い当たる節でもあったのか、彰が黙り込んでしまう。

 優馬は慌てて言った。

 

「あの、僕個人の考えですし、多分ほとんどの人は彼女とかいると思うんで。というかいて普通というか」

「そうだな……優馬君が正しいと思う」

 

 沈んだ声で言われ、彰に彼女がいることがほぼ確定する。

 胸がずきずきと痛んだ。

 

「いえいえ、本当しょうもないこと言ってすみません」

「しょうもないことじゃないよ。そうだよな……スパロウのこと考えたらその辺ちゃんと管理するべきだよな」

「まあ……そう、ですかね……」

 

 何となく沈んだ空気になったところでタクシーが目的地に到着する。

 そこは、表通りから一本入ったところにある目立たない日本料理屋だった。

 彰がここだよ、と言い、店の暖簾を上げて先に入れてくれる。エスコートに明らかに慣れた感じだった。

 エスコートされた誰かに嫉妬しながら店に入ると、和服の女性が出て来て愛想良く応対する。

 行きつけの店のようだった。

 女性は勝手知ったる様子で廊下を先導し、直接個室に案内した。裏口からテーブル席を経由せずに個室に行ける店らしい。

 彰はこういう芸能人御用達の店を多く知っていた。

 メンバーに紹介してくれたりもするが、ここは初めての場所だった。

 個室に入ると、ライトアップされた中庭が見えるガラス張りの窓に面して四人掛けの黒いテーブルがあった。

 そこに向かい合って座り、メニューを見る。目が飛び出るほど高い懐石料理しかなかった。

 

「先輩、これ……」

「決まった?」

「こんな……いいんですか?」

「大丈夫大丈夫。あ、何か見返り要求されると思ってる?」

「いえ、そんなことは……」

「ははっ、そんなことしないよ。単に長居できるのがこういう店しかないからさ。ここ時間で予約取れるし。一応三時間取ったけど」

 

 台本読みのためだけにこんな高い店を取ってくれたのだろうか?

 そんなことはしなくていいのに。

 

「ありがたいんですけど、申し訳なくて。あの、後でお支払いしますんで」

「そんなことしなくていいよ。奢らせてよー」

「あ、じゃあありがたくご馳走になりますね……。ご馳走様です」

「どういたしまして」

 

 微笑む彰に見とれていると、店員がやってきて注文を取ってゆく。とりあえず彰が頼んだものと同じものにした。

 まもなく食前酒と先付けが出てくる。ダンスの練習と台本読みで腹ペコだった優馬は、手を合わせて食べ始めた。

 

「いい食べっぷりだねえ」

「すいません、がっついちゃって」

「腹減ってる?」

「はい、結構……」

「若いねえ」

「いや、彰さんも若いじゃないですか」

「優馬君に比べたら年いってるよ。そういや二人で食うのって初めてだっけ?」

「かもですね。だいたい皆と一緒なので」

 

 グループのメンバーとご飯に行くことは少なくない。スパロウは年長組の拓と秋が面倒見が良く、しょっちゅうメンバーをご飯に連れていってくれるので、少なくとも週一ぐらいで誰かしらとご飯に行くぐらい仲が良い。

 しかし、彰と二人だけでというのはこれが初めてだった。

 

「やっぱそうだよな。何か新鮮」

「誘って頂けて嬉しいです。演技のこととか、沢山教えて下さい」

 

 すると、彰が目を見開いてまじまじと優馬を見た。

 

「……何かついてますか?」

「いや、何でもない。えーと、うん、俺で良かったら! うまく教えられるかわかんねぇけど。俺、外国語どころか日本語もうまく話せねえからさぁ」

「そんなことないですよ。台詞回しもすごくうまくて……尊敬します」

「お世辞いいって。同じグループのメンバー同士なんだしさ、腹割って話そうよ」

 

 それに真顔で答える。

 

「腹割ってますよ。本心です」

「っ……君はさぁ、本当人たらしだよね。言われない?」

「人たらし……?」

 

 すると彰はわずかに眉を寄せて頷いた。

 

「そーやって人に気持ちいいことばっか言ってるといつか誤解されるよってこと。俺はともかく神崎とかさあ……」

「思ってもいないことは言わないので、多分神崎さんにはこういうこと言わないと思います」

「お前はほんと……」

 

 そう言って彰は照れたように視線を外した。その表情が可愛くてずっと見ていたいと思ってしまう。

 

「彰さんこそ人のこと言えないんじゃないですか? 今の反応めっちゃ可愛いですよ。女の子は誤解しますね。神崎さんにも誤解されてるんじゃないですか?」

「神崎はお前だろ」

「そうですかね? 僕はあのとき、当て馬にされたように感じましたけど。あんまり期待させて刺されないようにして下さいね」

 

 すると、彰は何か言おうと口を開けたが、結局何も言わずに閉じた。

 そしてちょうど運ばれてきた前菜を食べ始めたのだった。