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 おれ、ここの子になる
 信さん、お茶いーれて。
 信さん見て見てっ、紅葉めっちゃ綺麗だよ。
 いつか、連れてってやるよ、あっち側に! マトモな世界に、一緒に戻ろうなっ!

 信はハッと目を覚ました。伸ばした手が虚しく宙をかく。信は腕をパタリと布団に落とし、身を起こした。
 久しぶりに秋二の夢を見た。夢とは思えないほどリアルで、すぐそこに秋二がいるかのようだった……。

 信はため息をつき、それもこれも秋津のせいだ、と思った。
 まだ玉東にいる秋二が現れるなどということはありえない。彼にはまだ契約が8年残っているはずだ。
 長い長い8年――あそこでの1年は、こちらの10年に匹敵するくらい長いのだ。
 その8倍など、考えただけで眩暈がする。

 秋二はそれに耐え抜けるのか。
 秋二を気に入っているらしい笠原という賓客や、信の友人の章介の庇護があるうちは大丈夫だろう。
 しかし、章介の契約期限は秋二より5年早く、笠原も永久に後ろ盾となってくれる保証はない。

 もし誰もいなくなったら―――。

 信はそこまで考えて嫌な考えを振り払った。
 笠原の庇護を失うなどありえない。彼は秋二をいたく気に入り、ゾッコンだったのだ。
 だれよりも貢がれていたのがその証拠。
 だから大丈夫。きっと大丈夫……。

 そう言い聞かせてみても、不安はなくならない。目がさえてしまった信は起きだして台所に行き、ほうじ茶を淹れた。そしてリビングに持っていって少し口に含む。

 電気をつけずにしばらくぼんやりしたあと、信は立ち上がって、窓際の本棚の一番下の引き出しの奥から白い封筒を取り出した。
 そこに入っているのは、手紙の束。大事な人に出せなかった書簡だ。

 この2年、ほとんど毎日のように書いてきた手紙が山ほど入っているが、これは一部だ。残りは納戸の奥に押しこんである。
 ほとんどは切手のない封筒だが、中にはちらほらと切手が貼ってあるものもある。投函寸前までいった手紙だ。しかし、身請け後ひと月くらいたったころに出した一通を除き、すべて未投函だった。
 だって、誰がのうのうと手紙など出せる? あの地獄でもがき苦しんでいる相手に。
 外での楽しい生活の近況報告など死んでもできなかった。

 秋二からは返信が欲しいと何度も請われたが、無事を知らせる最初の一通の後、信は返事を書くのをやめた。あと出したものといえば年賀状くらいだ。
 信が元気でいることくらいは今もちょくちょく白銀楼を訪れる森から伝わっているはずだし、それ以上の情報はいらないと思った。

 信はため息をついて、秋二からもらった手紙を一通一通丁寧に伸ばし、じっくり読み返し始めた。内容はもう暗記している。だけど、秋二の筆跡を辿るだけで癒されるから不思議だった。
 彼はそれから夜が明けるまでそうやってずっと薄暗いリビングで、秋二からの手紙を読みふけった。

◆ 

 まもなく年の瀬となった。森は例年通り、愛人たちを集めて年越しパーティーを企画し、太平洋上で初日の出を迎え、日の出と同時に太陽から全速力で逃げることでできるだけ長く初日の出を味わってみよう、という突拍子もない提案をした。

「絶対面白いと思うんだよ。みんな、どう?」

 すると周りにはべっていた青年たちははしゃぎ出した。

「最高! ねえ、『サロン』絶対入れてね」
「氷の彫刻飾ろうよ。ライトアップしてさ。この前映画で見たの。氷の中にライト入れるんだよっ。めっちゃ綺麗なの」
「シェフは前原さんがいいな。フレンチだったら一番だ」
「中華がいいよー」
「いや、日本人としては懐石……」
「わかった、わかった。じゃあ全部な」

 森の本邸のリビングは、12人の「愛人」たちで賑わっていた。全員男だが、うち3、4人は女装をしているから雰囲気は華やいでいる。
 信は、森を囲んで盛り上がる青年たちをちょっと離れたソファで眺めていた。

 そばには、彼と同じくどちらかというと物静かな人たちが集まってぽつぽつと言葉を交わしている。信は森の愛人第12号になった当初からこちら側だった。
 お祭り好きの人たちは、見る分にはいいがなかなかその輪には入っていけないのだった。

「翔さんもよくも毎年こう新しいことを思いつくよねえ。もう驚き通り越して尊敬というか」

 最古参の由良が言うと、向かいに座って雑誌をパラパラめくっていた理人が応じた。

「とにかく刺激がないとダメな人だからな」
「確かに。島買って自主映画撮ってみたりね」
「ねえ、バトロワの撮影、めっちゃ楽しかったねっ」

 理人の隣、ソファのひじかけ部分に座った聡が足をブラブラさせながら言った。ワンピース姿で髪が肩の下まである彼は小柄で、信からしてみればせいぜい高校生にしか見えなかったが、実は年はそう変わらないらしかった。

「うん、あんなの初めてだったなあ」

 由良が言い、理人が頷く。聞くところによると、ハリウッドとかから専門家を呼んでずいぶん本格的に作ったらしかった。
 信も観たことがあるが、音楽も、カメラワークも、プロットも、演技も、一般的な映画だと言われても違和感のない出来だった。

「本当に、皆さんの演技も素晴らしかったですよね」

 そう言ったのは向かいに座る長谷佑磨だった。理知的な瞳が印象的な男性で、歳は信と一回りほど違う。あまり口数は多くないが、頭が切れて上品な人物だった。
 彼は作品に出演しているわけではなかったが、制作にはかかわったらしかった。

「そりゃそうだよー。あんな合宿されちゃあ」
「ホント、あれはキツかった」

 聡の言葉に由良は深々と頷き、信への解説を付け加えた。

「本番前にね、1カ月間特訓したの」
「もーなーんの娯楽もないあの島でさー、1カ月! とりあえずエッチしまくったよね」
「もう、あゆみは……」

 ちなみに聡は本人の希望であゆみと呼ばれている。確かに外見からするとそちらの名前の方がしっくりくる感じだった。
 聡は続けた。

「それで佑磨さんとも仲良くなろうと思ってたんだけどさあ……」
「早い話がフられたんだろ」

 理人の言葉に、聡はぷう、と頬をふくらました。

「違うよっ! ただホラ、機材設置したりで忙しかったから……」
「もう諦めろよ。無理だって。お前なんかじゃ勃たないってさ」
「こンのっ……!」

 聡がすばやく足を振り上げて理人を蹴りつける。理人は笑いながら、足の力なさすぎ、とかさらにおちょくっていた。
 ことの成り行きを困惑顔で見ていた佑磨は、ここで口を開いた。

「すみません……あゆみさんがどうとかではなく、女性しか愛せないので」
「よかったな、慰めの言葉をもらえて」

 悪ノリした理人がさらに聡をからかう。すると彼は顔を真っ赤にして言った。

「うっさいなっ、早漏」
「てめえっ、一番言っちゃいけないことをっ!」
「なに? 事実じゃん。しかも入ったのかどうかわかんないくらい小――」
「おいっ!」

 今度は理人が聡に飛びかかる。
 なんだかんだ仲がいいなあ、と微笑ましく思いながら眺めていると、同じように思っていたらしい佑磨と目が合った。
 目が合った佑磨に会釈をし、話しかける。

「仲良いですよねえ」
「ええ。兄弟っていたらあんな感じなのかな、と」
「あ、一人っ子ですか? 私もです」
「そうなんですか。兄弟って憧れますよね」

 佑磨が同意すると、由良が口を開いた。

「いやー、そんないいモンじゃないよ。特に年近いと、年中ケンカだし……」
「そんなもんですか」
「うん。映画とかでは美化されてるんだよ。あんなのウソウソ。少なくとも子供のうちは兄弟愛なんて皆無だから。リモコンの取りあいでひたすらケンカよ。まあ、だからしたたかっていうか、しぶとくなる面もあるけどね。2人なんて、そのへん放り出されたら一週間で力つきそうだもん」

 由良が笑って冗談を言う。信はそれに笑って応じた。

「それは否定できないかもしれない。まあ一応、自覚はしてますよ、温室育ちだって」
「だよねえ。2人だけ明らか違うもん。何か、ちゃんと肥料をやられてすくすく育った薔薇ってカンジ。僕らはまあ、ちょっと綺麗な花つける雑草ってトコだね」
「いやいや、そんなことないですよ」
「そんなことあるよー。だから隙見せちゃダメだよ? のほほんと草食んでばっかいたら、食われちゃうからね?」
「気をつけます」

 信があいまいに笑って頷いたあたりで、聡と理人の戯れは終わったようだった。
 聡は最後に理人の頭をはたくと、こちらにやってきて甘えた声で言った。

「しーんくん♪ 膝乗ってい?」
「どうぞ」

 信が応じると、聡が膝の上に乗ってきた。いつも通り羽根のように軽くて成人男性とは思えない。
 信は少なからず彼の性別を疑ったことがあった。
 本当に軽いな、と思いながら相手を見ていると、膝の上に横向きに座った聡が不意に言った。

「今日の服、どお?」
「可愛らしいですね。こういうパステルカラーが本当にお似合いですよね」

 すると聡は振り返って、コレ、と叫んだ。

「コレだよ。コレが正答なの」
「だったら信とよろしくやればいいだろ。ま、お前なんか相手にされないだろうけどな、ビッチ」
「なんだとおっ! インポ野郎っ」
「そんなふうに下品だから嫌われんだろ」
「まあまあ……」

 ひとを当て馬にしてイチャつかないでほしい、と思いながら2人を宥めていると、やっと由良が介入してくれた。

「こーら、いい加減やめなさい。みっともない。しーちゃん困らせないの」
「はあい……」

 そこで聡はようやくおとなしくなった。彼は甘えるように信の腕をとって自分の体に巻き付け、足をブラブラさせた。

「そういえばしーちゃん、今週翔太郎さんと会った?」

 由良の質問からは主語が抜けている。正しくは、森は、今週何回泊まりに来たか、だ。信はちょっと少なめに申告した。

「2回です」
「ふうん。てことはあと2日が陵ちんのところで、あと1、1、1って感じかな」
「正直に言うと、おれは二週にいっぺんくらいだ」

 理人の言葉に、由良も頷いた。

「僕もだよ。人数いるから仕方ないのはわかるけど、でもちょっと寂しい……」

 信はきまり悪さをゴマかすために茶を飲んだ。愛人同士で集まるとこういう話題になるから困る。
 森はきっぷのいい男で、愛人の待遇に基本的に優劣はなかった。皆同程度のマンションを与えられ、クレジットカードを持たされている。
 更には、聡と理人のように愛人同士が関係しても、他に男を作ってもオーケーという、非常におおらかなスタンスだった。
 こういうのをポリガミー主義というのだろうか。

 だが、世間一般的には好きな人は一人、というのが普通の感覚であり、愛人の中でもそういうタイプはいた。
 由良がその典型だ。
 彼は森のことが本気で好きで一緒にいる。
 打算的に愛人になった信とは違うのだ。
 だから、こういう話題になると気まずかった。
 その上、一番新しく引き取られたせいか、森の訪問頻度はわりと高い。

「はあ、このところ気が滅入って仕方ない……やっぱり若い子の方がいいのかなぁ」
「待つのは苦しいな。あんないい人だからなおさら」

 由良と理人の会話に、それまで黙って読書をしていた佑磨が口を開いた。

「由良さんのこと、拠りどころにしているとおっしゃっていましたよ。初めて得た家族だと。理人さんも、なくてはならない存在だと」

 眼鏡の奥の思慮深そうな瞳が柔和に2人を包みこむ。信は、フォローありがとうございます、と目くばせをした。
 すると相手は口角をわずかに上げ、軽く頷いた。

「それが本当だったらうれしいなあ。そっか、家族かあ」
「確かに付き合いが長いとだんだんそうなってくるかもね」

 聡はアップルティーをひと口飲み、それからクッキーをつまんだ。1人の要望で森が手配したものだ。こういうあたり、さすが大きなもめ事もなく12人を囲っている男だった。

「そういえば学校を受験されるとか」
「ああ、そうなんです……今さらという感じですが」
「いえ、勉強するのは素晴らしいことだと思いますよ。せっかくの機会ですから学生生活を楽しんでください」

 おおらかに言った佑磨に、聡が足をブラブラさせながら言った。

「学校行くなんて面白いことするよねー。僕は無理だなー。もう勉強したくない」
「そうねえ。しーちゃんは元々勉強できるから。桜咲(おうさか)学園だっけ? 名門だよね」

 嫌味な感じでもなくそう聞いてきた由良に、信は曖昧に答えた。

「まあ、エスカレーターですし、特別できる方でもなかったですし……」
「またまたあ、ご謙遜を。まず桜咲入れるだけでスゴいもん。僕バカだからなー」

 そこで佑磨が学校名に反応した。

「桜咲、ですか? おいくつでしたっけ? 私もそこなんですよ」

 え、初耳―、と静か組にしては盛りあがる周りを気にせず、信は答えた。

「24です」
「私は36なので、時期はずれると思いますが」
「高校までですか?」
「ええ」
「あ、そしたらちょっとだけ一緒だったかもしれないですね。私、幼稚舎からなので」
「ああ、そうですか。……世の中狭いですね」

 信もまったく同感だった。まさか同門の人がこんなに近くにいるとは思いもよらなかった。

「古関先生、佑磨さんのころからいました? 歴史の」
「ああ、いましたよ。名物先生ですよね」
「いつも同じ柄のチョッキを着てて……面白かったですよね、テストとかも、この問題について自分の考えを書け、とかで一枚ぴらっと」
「ああ、あれは困りましたね。本当に時事問題おさえてないと何も書けないから。
 でも今思い返してみると、ああいう教育を受けられたというのは幸せなことだったと思いますね。当時は一切そんなこと思いませんでしたが」

 そう言って笑った佑磨につられて信が笑ったそのとき、森がにゅっと姿を現した。

「おー、こっちも盛り上がってんな。何の話?」
「同じ学校だったことが発覚したんですよ」

 2人が座るソファの前に立って菓子をポリポリ食べながら、森は驚いた表情をした。

「え、マジ?」
「ええ。それで話が盛りあがりましてね」

 佑磨の言葉に、森は興味深そうに2人を見た。

「そういやなんか雰囲気似てるもんなあ。よし、面白そうだからお前ら一緒に住め」
「「え?」」

 ポカンとした顔で顔を見合わせた2人に、森はくり返した。

「だから同居してっつってんの。気合そうだしなあ」

 まーたロクでもないことを考え出したな、と思っていると、それを代弁するかのように佑磨が言った。

「どうせまたくだらないことを考えてるんでしょう。嫌ですからね。信くんだって迷惑だ」
「イケメンエリート同士の同棲生活を経過観察したいんだよお。頼む」
「嫌です」
「住むだけでいいから! お願い! 信、お前からもなんとか言ってやってくれよお」
「なぜ私が……?」

 ここで信はおや、と思った。信相手なら絶対ゴリ押ししてくるはずの森が下手に出ている。
 さりげなく周りをチェックしてみると、由良も聡も理人も不思議そうな目でなりゆきを見守っていた。
 やはり佑磨の扱いはちょっと特殊らしい。これは過去に何かあったかな、と思いながら、信は黙って傍観していた。

「なんだよ、加勢しろよ。部屋が1人で住むには広すぎるとか言ってただろ?」
「そうだなあ……」

 政界成り上がり計画がある以上仲良くしておけということだろうか?
 そこまでする必要があるとも思えないが、立場上拒めないのでやるしかないかもしれない。佑磨にはいい迷惑だろうが。

「本当に住むだけでいいんだよー頼む。やってくれたらご褒美にデカい図書室造ってやるし」

 そこで思わず信と佑磨は顔を見合わせた。
 デカい図書室? そうなると話は変わってくる。

「そう。隣の部屋ゲットしてそこ全部充ててやるからさ。佑磨んとこのとなり、空いてただろ?」
「同居だけ。それなら私はいいです。信くんは?」

 どうやら佑磨は「デカい図書室」に心を奪われてしまったらしい。
 信は頷いた。

「構いません」

 すると森はばんざいをして2人の間に勢いよく座り、両手で――菓子をつかんだ手で――彼らの肩を抱きよせた。

「これで来年の楽しみが増えた! 信、引っ越しの準備しとけよ~」

 信ははしゃぐ森に適当に応じながら、図書室に何を入れてもらおうかと思案を巡らせた。