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 パウロから連絡が来たのはそれから二日後の夕方だった。急ぎで調べてくれたらしい。
 リビングで信とテレビを見ている最中に電話を受けたマウリはテレビを消音にし、イタリア語で電話に出た。

「もしもし。ああ、調べてくれたか? ああ……ああ、ああ……。……確かか?…………あり得ると思うか?……そうか……お前も身辺気をつけた方がいいな。……本当か? ロドリゴが?……それは残念だ。そんなことがあったとは……。じゃあお前、こっち来い。場所は……あとで教える。なるべく早く家族と来い。……ああ、じゃあな」

 そう言ってマウリは電話を切った。
 全部早口のイタリア語だったが、大まかな内容はわかった。直属の部下のロドリゴに何かあったようだ。
 説明を待っていると、マウリはため息をついて電話をテーブルに置いた。
 そして英語に切り替え、衝撃の事実を口にする。

「ロドリゴが殺されたらしい」
「えっ?」
「アウグストが俺の行き先吐かせようと俺の部下を手当たり次第尋問……というか拷問してやがる。それでロドリゴは死んだ。パウロは逃げ出して無事だったらしい」

 アウグストはドン・ネロの弟ガリレオの長男で、マウリが所属していたルカ一派と対立していた男だ。
 ナポリのファミリーではドンは必ずしもドンの息子がなるとは限らず実力主義だったため、ドンの長男であるルカと甥であるアウグストは後継者の座を巡って水面下で火花を散らしていた。
 その争いは、ドンの死と共に表面化するだろうといわれていた。

「そんな……」
「だからこっちに来るよう言った。あいつは結婚してるから家族も一緒に来る」
「そっか……。向こうも大変なんだね」
「ああ。俺のせいだ。こんな病気さえなきゃ……クソッ……!」

 マウリは顔をゆがめて拳で膝を叩き、頭を抱えた。
 ダークブラウンの髪が頬にかかり、表情を隠す。そうしていてもたってもいられないというふうに立ち上がり、ソファの前を行ったり来たりしだした。
 何と言っていいかわからず黙っていると、マウリは呟くように言った。

「ラザロは消すべきだった。あいつのせいで全部めちゃくちゃだ」
「でも……ラザロは私を助けてくれたよ」

 すると、マウリは顔を上げてこちらを鋭い目で見た。

「あいつの味方するのか?」
「……そういうわけじゃないけど」
「まさか……お前が唆したんじゃないだろうな?」
「っ……」

 その瞬間、マウリは見たこともないような目で信を見た。
 これまで向けられたことのない、敵意をはらんだ視線の鋭さに背筋が冷たくなる。
 否定すべきか? でも否定したらラザロだけが悪者になる、などと色々考えていると、マウリが低い声で言った。

「答えろ。ラザロに頼んだか?」
「……頼んでない」
「けどナポリでは俺に黙ってアイツと連絡とってたよな? それで駆け落ちに失敗して全部台無しにした。信じられると思うか?」
「……」
「ラザロとお前のせいでロドリゴは死んだ。どう責任取るつもりだ?」

 冷えた瞳に、もはや自分への気持ちはないのだと悟る。
 部下を家族と呼ぶマウリにとっては、信とラザロのしたことが許せないのだろう。
 それだけ部下を大事にしていたのだ。
 一匹狼のラザロとは対照的に、マウリは組織を大事にする男だった。

「責任って……」
「ロドリゴは家族も同然だった。命を助けられたこともある。お前の親友を救ったのもあいつなんだぞ? 何とも思わないのか?」
「……ごめんなさい」
「ごめんで済めば警察はいらない。お前はもう金輪際ラザロとは話すな。お前らはトラブルを起こしすぎる。お前らのせいでファミリーにも戻れなくなったんだぞ。あそこが俺の家だったのに」

 マウリは顔を歪めて言った。
 本当に哀しげな、悔しげな表情だった。
 それにただただ謝罪するしかない。

「ごめんなさい」
「……ラザロのどこがいい?」
「えーっと……真っ直ぐなところかな」
「フッ、真っ直ぐね」

 そこで信は立ち上がり、マウリと向き合った。するとマウリが立ち止まってこちらを見る。
 信はその目をしっかり見て言った。

「マウリの意に反したことをしてしまって本当に申し訳ない。ロドリゴさんの件も、本当に私のせいだと思うし、それをこれから償っていきたいです。ラザロのことは好きだけど、マウリがそう言うなら別れるよ。私は、ラザロのこともマウリのことも大事だから。二人が納得する形にしたい」
「……そうか」
「うん。マウリがファミリーを大事にしてるのは知ってたから裏切らせてしまって申し訳なかったと思ってる。ラザロを好きになってしまって後先考えず行動してしまった……。ごめんなさい」

 そう言って深々と頭を下げると、マウリはようやく溜飲を下げた。

「まあ、信も大変だったろうしもういい。顔上げて。俺も畠山のことはいずれ処分するつもりだったしな」
「そうだったんだ……」
「ああ。信のこと傷付けてたし。だけどラザロのやり方はやりすぎだ。本当あいつはどうしようもないな。『治療』で消せばよかった」
「……」
「これからでも遅くないか。ちょっと落ち着いたらこっちで治療受けてみるかな」

 その言葉に思わず声を上げる。

「それは駄目だよっ」
「ああ、好きなんだもんな」
「それもあるけど……でもラザロも君の一部だろ? それを消すなんて」
「アイツは俺じゃない。一緒にするな」
「ごめん……」

 するとマウリは表情を和らげて信の肩を軽く叩いた。

「お前謝ってばっかだな。謝らなくていいよ」
「うん……」
「それで、調べた結果だけど、実際に当時フランチェスコって人が殺される事件はあったらしい。だけどその人は社長で商工会の幹部だし、フランチェスコなんて名前珍しくもないからな。ファミリーと関係があるとは思えない。ただ、新聞に載ってた顔写真が俺と似てるらしい。メールで送ってくれたらしいからまあ一応見るか」
「そうだね」

 頷き、ローテーブルの上のノートパソコンを手に取ってソファに座り、開く。するとマウリが隣に座って画面を見た。その肩と上腕にはガーゼが当てられ処置されている。
 こちらに来た翌々日に信にせっつかれたラザロがやっと病院を受診したのだ。
 彼はメルボルン中心部の少し北にある個人病院を受診し治療を受けた。
 どうも昔から付き合いのある相手らしく、医師は銃創を見ても何も言わずに処置した。そしてダウンタウンにある総合病院の整形外科に紹介状を書き、申し送りをしてくれた。
 そこへ行き、諸々検査をした結果、肋骨と前腕の骨折箇所はほぼ癒合しており、固定は必要ないがリハビリには通ってほしい、とのことだった。ラザロは渋ったが信が無理矢理行かせている。今はそんな状況だった。
 骨折がほぼ治っているとはいえいまだに痛みは出るようだし、何よりつい最近負った銃創が治癒していないので、信はマウリにもラザロにも過保護になりがちだった。
 だからノートパソコンも持たせたくなくて自分で持ってきたりと、こうやって先回りして色々してしまう。
 マウリのアカウントにログインし、メールボックスを開くとパウロからのメールが届いていた。
 その添付ファイルを開くと、当時の地方新聞の記事が出てきた。
 わりとスペースを割かれた死亡記事に載っていた顔写真に絶句する。
 輝くようなブロンドの髪の中性的な美貌の男。フランチェスコはマウリの生き写しだった。

「これ……」
「まあ、似てはいるな。『自宅で銃撃されて死亡。犯人はいまだ捕まらず……』か」

 その後も定期的にこの事件の捜査の進捗を伝える記事が出ていたが、結局最後まで犯人は捕まらなかったようだ。
 それを見ていくうちにふとあることに気づく。

「マウリ、これ……」
「なに?」
「次男のジュゼッペだけ行方不明って書いてあるけど、アルさんがマウリのお祖父さんはジュゼッペさんって言ってなかった?」
「そうだったかもな。でも嘘だろきっと」
「そうかな……」
「普通にこういう顔いるし。髪の色が同じってだけだろ」
「でも、血が繋がってなくてこんなに似てるかな?」

 記事の写真は白黒だがわりと明瞭だった。
 秀でた額に切れ長の甘い目元、通った鼻筋、薄い唇、それらのパーツが完璧に配置された瓜実顔とそれを縁取る輝くばかりの金髪――その顔の特徴はマウリに驚くほど似ていた。フランチェスコが先祖だとすれば、マウリの方が似ていると言うべきか。
 とにかく、他人の空似とは思えないほど似ていた。

「まあ別にあるんじゃねえかな? それにしてもアルが離反するとはなぁ~。考えもしなかった」

 マウリはまだ懐疑的だった。
 そこで信は言った。

「アルさんが送るって言ってた証拠は見た?」
「いや」
「それも見てみようよ」
「うーん……」

 信はメールの受信箱に戻り、その前に来ていたアルからの添付メールをクリックした。
 そこにはバルドーニ家が乗っ取られたときの経緯が仔細細かに述べられた後、これまでに集めた資料を添付する、と書かれていた。
 その文面の丁寧さに、アルの話が真実味を帯びてくる。
 マウリ一人を騙すためだけにここまでするとは思えなかった。
 ドキドキしながら添付ファイルを開くと、最初に出てきたのは先ほど見た新聞記事だった。
 それはもう見たので飛ばして次のものを開く。
 すると、歴代ドンの写真、と説明書きされた画像が出てきた。
 現在のドンまでのバルドーニ一族の長の顔写真、写真がない時代は肖像画が十数枚、年代順に並んでいる。
 それを見て、信は息を呑んだ。

「っ……」

 ルカの曾祖父ドン・ファウストの先代、ドン・リカルド以前のドン達とファウストの顔の特徴は全く異なっていた。
 特に親子であるはずのリカルドとファウストは全く似ていない。
 ドン・リカルドはマウリよりもさらに女性的で繊細な美貌を持った細面の金髪であるのに対し、ファウストは当代のドンを思い起こさせる彫りの深い武骨な顔立ちで、髪色は暗い。
 この二人が親子だと言われて納得する者はあまりいないだろう。
 マウリはどう思っただろうかと思いちらりと横を見ると、さすがに少し動揺していた。

「アルの奴……何でこんな手の込んだことを」
「信じられないなら、画像検索かけてみたら? 適当に合成した画像だったらわかるよ」
「そうだな」

 マウリは頷いて添付画像をネットの画像検索にかけた。
 その結果は驚くべきものだった。
 アルが送ってきた画像はほぼ全てナポリに住んでいた実在の人物で、地元の名士として新聞記事に載っている人物も多かったのだ。
 もし彼らがバルドーニファミリーのドンだとすれば、バルドーニ一族がナポリを治めてきたという話も誇張ではないのかもしれない。

「何か信憑性出てきたね」
「……俺が後継ぎどうのこうのは怪しいが、ドン・ファウストの代に何かあったのは確かだな。こりゃ一旦アルのところに行くのもアリかもな」
「そうだね。それは思う」
「もしアルが裏切ってたら向こうのファミリーに突き出せばいいだけだしな。そうなりゃワンチャンファミリーに戻れる。俺、一旦ローマに行くよ。あいつらの本拠そこだよな?」
「うん。アルさんがそう言ってた」
「信はどうする? 一緒に来るか?」
「行く」

 そう答えるとマウリは頷き、どこかに電話をかけ始めた。
 そうして二人は三日後、ローマに向けて発ったのだった。