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 カミラから予想外の提案をされたのはそれから三日後、人質の引き渡しが終わった直後だった。
 その日、テッラチーナで無事アルとルカの身柄を交換したマウリが本部に戻ると、叔母のカミラが待っていた。そして話があると言われ、先導されるままカミラの私室へ行くと、テーブルを挟んで向かい合わせのソファに腰かけるよう言われる。
 言われた通りにすると、向かい側に立った叔母は深々と頭を下げた。

「息子を助けて頂いて本当にありがとうございました。あなたがいてくれて本当に良かった」
「俺もアルが戻ってきてほっとしたよ。座って」
「はい。ドンはすぐに出ていかれますか? 少しご相談があるのですが」

 カミラの物言いにマウリは首を傾げる。

「出て行く? どういうことだ?」
「ラザロさんとそういう取り決めをしました。アルトゥーロを助ける代わりにファミリーからは出て行くと。ご存じなかったですか?」
「ああ、聞いてない……ラザロの奴、そんなことを? 俺はそんなつもりは一切ない。ここであなた方とやっていくつもりだ。父の遺志を引き継ぎたい。ナポリの裏切り者達を処分し、その地を取り戻す。それが父の宿願だったんだろう?」
「そうです。兄のダヴィデと共にそれを果たすつもりだった……生きてさえいれば」
「それは俺が果たす」

 ずっと親のことは憎んでいた。酒浸りで食べる物も着るものもくれなかった親達を。
 だが、彼らは本物の親ではなかったのだ。本当の両親は確かにマウリを愛し、愛のゆえに養子に出した。
 それを知ったとき、マウリは長年の苦しみから解放された。自分はいらない子供ではなかったのだ。
 だから両親の遺志を継ぎたかった。

「本当ですか? それはありがたい」
「ああ。ただし、俺とシンの関係を認めることが前提だ。俺はシンと結婚する。それが認められないのなら出て行く」
「子供はどうする予定ですか?」
「シンは欲しいみたいだから作ると思う。どうやるかはまだ考えてないけど……」

 するとカミラは提案した。

「体外受精で代理母出産はいかがですか?」
「まあ……いいかもな。シンに聞いてからだけど」
「……」
「何か?」

 物言いたげなカミラに水を向けてやると、少し躊躇ったのちに口を開いた。

「失礼ですが、シンさんの子供を作るつもりはありますか? つまりドンと血が繋がっていない子のことですが」
「そりゃ当然だろ。子供欲しがってるのはどっちかっていうとシンの方だからな」
「でしたら……忠告申し上げます。子供が男の子だった場合には養子に出した方がよろしいかと」
「なぜ?」
「我々バルドーニ一族は血のつながらない裏切り者により壊滅させられた歴史があります。つまり、ファウストのことですが」
「それが俺たちの子供と何の関係がある?」

 すると、カミラは噛んで含めるようにゆっくり説明した。

「血族以外への反発はいまだ根強く残っています。それがドンの子供となれば皆黙っていない。最悪のケースも起こりえます」
「命の危険があるってことか?」
「はい」
「そんなに……?」
「ドンと血の繋がらない子はここでは受け入れられません。元々継承権のない女の子が生まれた場合には問題ないです。しかし、男子が生まれた場合には遠くに養子にやってください。それが、私があなた方の婚姻を後押しする条件です。これを約束していただければ幹部たちを説得します」

 あまりにも無茶な提案にマウリは呆れ返った。

「シンがそんなことを納得すると思うか? 母性の塊みたいな男なんだぞ。受け入れられるわけがない。他の方法はないのか?」
「あるにはあります、一つだけ……。ですがあなたが納得するかどうか」
「何だ? 言ってみろ」
「若い頃、私は卵子凍結をしました。それを使って体外受精をします。そうすれば生まれてくる子はバルドーニの血を引きます」
「はあ!? あんたが母親になるってのか?」

 するとカミラは首を振った。

「母親としてのかかわりは一切持ちません。子供たちにもそのことは言いませんし、育児に一切関わらないという誓約書も書きます。真実は成人して正式に後継者になったら伝えればいい。その頃には私ももういないでしょうしね」
「いや、いくらなんでもそれはちょっと……複雑すぎる。第一シンがなんて言うか……」
「シンさんにも話してみてください。男子が生まれた場合に養子に出すのが嫌なら、私を卵子ドナーにして体外受精させることになると。ドンがこちらに残って結婚される場合は、この話は避けて通れません。早めに話しておくべきです」
「そこまで神経質になることもないと思うけどなぁ……」

 その言葉に、叔母は鋭い目でマウリを見た。

「私は父と男兄弟二人を内部抗争で亡くしています。この意味がわかりますか?」
「……」
「ここはそれだけ危険だということです。それにその子の立場にもなってみてください。ファミリーの中で自分だけ血が繋がらなくて、いつも継承権のある兄弟が優先される……そんな人生を送らせたいですか?」
「いや、それは……」
「聞けば組織を裏切ったファウストは子供の頃から養子扱いで兄弟差別をされていたようです。その鬱憤が溜まって歪んで育ってしまったのではないかと私は思っています。どんなに気性の良い子でも差別され、疎外されて育てばまっすぐには育ちません。その上内部の者に命を狙われる危険もある。だからこのような提案をしました」
「……」

 仲間外れにされる辛さはマウリ自身よくわかっていたから反論できなかった。ナポリのファミリーでマウリは常に異分子だった。後継者の中で一人だけ養子だったからだ。
 そのような思いを子供にさせるのは確かに酷かもしれなかった。
 しかしだからといってすぐに受け入れられる話ではない。自分の叔母が伴侶の卵子ドナーになるというのは。

「……出生前診断は? 何か血液検査でわかるやつあるだろ? 詳しく知らねえけど」

 しかし、叔母は即座に首を振った。

「それは神の意志に反します」
「まあ……だよな」

 イタリア人のほとんどはカトリック信者である。叔母も例にもれずそうなのだろう。
 そしてカトリックでは長らく中絶を殺人とみなしてきた歴史がある。
 ナポリでも中絶は合法だったが、反対派が過半数を占め、しばしばクリニックの前で抗議活動があるような状態だった。
 マウリ自身、敬虔なカトリック信者というわけではないが、やはり中絶には抵抗感がある。すると出生前診断は意味をなさず、男が生まれるか女が生まれるかは神の意志に任せる形になる。
 男子が生まれた場合にどうするかはこれからシンと話し合っていかねばならないだろう。

「私は母親であることを絶対に口外しません。組織の者にもそれは徹底させます。それを信じて頂けるなら、こちらの方法も検討してみてください」
「まあ……生まれてから四十年息子に母親だってバレてないわけだしな……。わかった、シンとゆっくり考えてみる」

 カミラが息子であるアルに自分が母親であるという事実をここまで隠し通してきたのは驚くべきことだった。 

「ドンとして残っていただけるならそれほど嬉しいことはないです。どうかよろしくお願いします」
「わかった」

 マウリはカミラとの話を終えて部屋を出た。そして深々とため息を吐き、本部を後にしたのだった。

 ◇

 その日の夜、帰宅したマウリは夕食の席でシンにカミラの提案を伝えた。絶対に反対されるだろうと思ったが、しかしシンは意外な反応をした。そこまで強く拒絶しなかったのだ。それどころか嬉しそうでさえあった。
 その反応に首を傾げるマウリに、シンは言った。

「これからのことを真剣に考えてくれて嬉しいよ。子供のことは私も考えてたんだ」
「そうなのか」
「うん。ファミリーは血族主義だろ? だから私の子供は作らない方がいいかなってそのときは考えてた」
「子供が欲しかったんじゃないのか?」

 すると、シンは穏やかな表情でスープを一口すすり、続けた。

「欲しいよ。でも血が繋がってる必要はない。そこにそこまでこだわりはないんだ。だからマウリの子を一緒に育てられるだけで満足なんだよ。その子は私の子になるから」
「……なるほど」

 シンはどうやら自分の実子を持つことにさほどこだわっていないようだ。ならばそれでもいいか、と思っていると、シンが躊躇いがちに付け加えた。

「でも……カミラさんが出してくれた案も……ちょっと魅力的かな。その選択肢があるなら本当の子供っていうのも……。マウリとラザロがどう思うか次第だけど」

 マウリは吐息をついて背もたれによりかかった。

「俺は正直……カミラがドナーっていうのには抵抗がある。他の誰でも気にしないけど俺の叔母っていうのはちょっとな。でもシンがそうしたいって言うなら反対するほどじゃない。まあ秘密も漏らさないだろうしな、なんせ実の息子に四十年バレてないんだから」
「本当にいいの?」
「ああ。シンの望みは俺の望みだから」

 そう言うと、シンは感動したように目をウルウルさせてこちらを見てきた。それがあまりに可愛くて鼻血が出そうだ。
 ぼーっと見とれていると、シンが手を差し出してマウリの手を握った。

「マウリ……君と出会えて本当によかった。本当に」
「俺もだよ。愛してる、シン」
「私も愛してる。一緒に家族になろう」

 マウリは頷き、シンの手の甲にキスをした。
 こんな相手に巡り合えるなんて思ってもみなかった。マウリにとっての家族はナポリにいるファミリーだけで、それはこれまでもこれから先も変わらないと思っていた。
 だがシンと出会ってもう一つの家族を得た。もう一つの、そしてかけがえのない家族を。絶対に守りたいと思える宝石のように輝く宝物を。
 だから絶対に守り通したい。何に代えてもこの家族を守っていく。そしてシンと幸せになる。
 マウリはそのときそう誓ったのだった。