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 優と藍那はタシケントのダウンタウンの端の方にある民宿に滞在していた。
 木造二階建ての小さな家の一階には老夫婦が住んでいて、二階の部屋を優達のような旅人達に貸している。
 通常、調査には月単位でかかるので、二人はあまりホテルを利用することがなかった。

 狐の妖の藍那がある程度金を増やせるとはいえ、無限に作れるわけではない。
 また、優も半神とはいえ、神力を使いこなす訓練も受けておらず、うっかり人に触ると命を奪ってしまいかねない、という状態だった。
 だから、一人と一匹は、ある程度地道に下働きをしては金を貯めてほうぼう旅して回っているわけだった。

 ちなみに、藍那は気分によってその姿を変えるが、この頃はイケメンに化けて酒場で女性たちにちやほやされるのがお気に入りだった。
 千歳を超えるまで娯楽もたいしてない山奥で山と町を守護するだけの禁欲的な生活だったので、反動がすごいようだ。

 かつての威厳のある姿は見る影もなく、夜遊びをして昼過ぎまでぐーすか寝る生活を送っている。
 だが、優は基本的にはやりたいようにさせておいていた。
 妖狐の寿命は千五、六百歳だと聞いたことがある。
 藍那は現在千三百歳を超えている。
 つまり、晩年なのだ。
 だから、あれこれ口を出さずに好きなようにやらせておいた。

 そんな藍那は今、絶賛昼寝中である。
 昨晩帰ってきたまま眠り込んでしまったらしく、出窓の下のソファでいびきをかいて寝ている。
 寝ている間に変化がとけたらしく、人間の服に埋もれて寝ていた。

 優はそれを横目にダイニングテーブルにつき、ノートパソコンを開いた。
 インターネットに接続し、地元のニュースを見ていると、不意に『サマルカンドの秘宝〜時を操る雫〜』というタイトルの特集ページが目に入った。

「時を操る雫……?」

 興味をそそられてリンクをクリックする。
 すると、霊廟の写真と共に、こんな記事が出てきた。

『サマルカンドーー言わずと知れた青の古都は、軍神と呼ばれたティムールが復興させた街である。
 サマルカンド・ブルーの美しいタイル貼りの神学校、モスク、霊廟が立ち並び、観光客のみならず、多くの芸術家、及び歴史家を惹きつけるこの街の目玉といえば、なんといってもグーリ・アミール廟であろう。
 ここには、かつてアジアを征服せんとした英雄・ティムールとその子孫が眠っている。

 この話になると必ず話題に上るのが、ティムールが生前隠したとされる財宝、通称「サマルカンドの秘宝」である。
 七色に輝く宝石、被れば覇者となれる王冠等々、数え上げたらきりがない。
 これらの財宝を探して、はるか昔から何百人もの人間が目を皿のようにしてサマルカンドの街じゅうを探したが、いまだ成果を上げた者はいない。
 そんなものはない、というのが、現実主義者達の共通見解である。

 しかし、その中に一つ、かなり信憑性の高い秘宝がある。
 それが、『時を操る雫』である。
 古くから、この土地には、ティムール伝説がいくつも伝えられているが、特に強調されるのは、英雄が未来を予見できた、という話だ。

 これは、代々この土地に住む地元民しか馴染みがない話であるが、ティムールは、悪魔か何かと契約し、未来を見ることのできる秘宝を手にしたという。
 そして、その予知能力をもって軍事作戦を次々展開したというのである。
 そこで筆者は、調査を開始した。まずは聞き込みである……』

 そこからは調査の過程が綴られていた。
 優は息を吐き出し、今度こそ、と呟いた。 
 こういったものには、ほうぼうで落胆させられてきたからだ。
 情報が正しかった試しはなく、あったとしても人間にしか価値のない宝物ばかりだった。

 優が探しているのはこの世界からの出口なのだ。
 それ以外のものは、せいぜい旅費の足しにしかならない。
 もしくは、藍那の娯楽費か……。
 そう思ってソファに目をやると、ちょうど起きたようだった。
 年老いてもずっと小狐姿のままの藍那は、洋服の下から抜け出すと、ふるふると身震いをし、伸びをした。

「ふい〜〜っ、ああ、よう寝た。優、茶ぁ持ってこい」
「はいはい」
「はいは一回」

 言われた通りに煎茶を淹れてソファの前のテーブルに出してやると、藍那は人間のようにソファに腰掛け、前足で湯呑みを持ってスズっと茶を啜った。

「ふむ、三度高いな。これは七十度で淹れるよう言っておるだろう」
「だったら自分でやれば? そんな厳密に測ってらんねえよ」
「おぉ、嘆かわしい。仮にも半神ともあろう者が、この程度のこともできぬとは。セラ殿はうまく淹れてくれたんじゃがのう」
「し、仕方ねえだろっ。俺そんなのわかんねえし」
「まあ、それもそうか。いや、それにしてもだな、人間だってうまく淹れる者はおるのだぞ。それなのに、未だできぬとは……情けないとは思わんのか」
「もういいだろ、お茶の話は。それより、これ」

 優はそう言って湯呑みの横にノートパソコンを開いて置き、特集記事を見せた。

「『時を操る雫』……ふむふむ、なるほど」
「どう思う?」
「それらしい感じだが、どうかな。とりあえずティムールの墓の地下でも掘ってみるか?」
「ああ。今晩行ってみようぜ」

 まだ誰も発見していないというからには、地下深くか、隠し部屋か何かにあるに違いない。
 既に遺跡発掘調査も大々的に行われているだろうから、かなり入念な調査が必要になるだろう。
 アミール廟は昼間一般開放されており、当然、一般観光客や職員の目があるその時間帯に調査はできない。
 だから、いつも通り夜に調べることにした。

 優は日暮れを待って宿から抜け出し、藍那と共に霊廟に向かった。
 観光地とはいえ、深夜はひと気がすくなくなる。
 優と藍那は、物陰に隠れ、藍那が出した大きな木の葉に乗って空へ飛び立った。
 この空飛ぶ木の葉は、藍那のお気に入りの移動方法で、旅の移動の際に愛用していた。
 深夜、ひと気のない場所でないとつかえないという欠点はあったが。

 空飛ぶ絨毯ならぬ、空飛ぶ木の葉で市街地を抜け、遺跡へと足を踏み入れる。
 ライトアップされた遺跡が並ぶ街には、まだ人がパラパラとゆきかっていた。
 目立たぬよう街の外れに降り立ち、霊廟へと向かう。

 青いドームと外壁のタイルが特徴的な美しいイスラム建築の建物はライトアップされ、暗闇の中にぽうと浮かび上がっていた。
 目立たないよう建物の裏手に回り、裏口の鍵を開けて忍び込む。
 これは、藍那がてんとう虫に化けて扉と地面の隙間から中に入り、中から開錠するといういつもの手を使った。

 消灯された内部は真っ暗だった。
 優は持ってきた懐中電灯をつけ、あたりを見回した。
 金ぴかに装飾された内壁が、その光を反射して光る。
 ここには日中に来たことがあるので、だいたいの構造はわかっている。
 ティムール帝のダミーの棺とその親族の棺が広間に並べて安置されており、その下の地下室に本物の棺があるのだ。

 優と藍那はざっと広間を調べると、早々に地下室に潜った。
 そこは装飾の少ない簡素な部屋で、本物の棺がいくつか安置されていた。
 室内は静まりかえって、空気はなんとなく肌寒い。
 人間に化けた藍那は居ごごち悪そうに身震いをした。

「薄気味悪いな」
「そうか?」
「何も感じんのか?」
「特には」
「うーむ、これがわからんとは……やはり冥王の子ということか」
「その冥王だけどさ、セラと仲悪かったって言ってたよな、何で? いつも詳しく教えてくれねえけどさ」

 青い狐火を出して辺りを調べている藍那に聞くと、男はやはり口籠もった。

「うーむ、それはな、まあ色々と事情が……」
「俺が原因で揉めたとかそんなとこだろ? もうだいたい見当はついてるから教えろよ」
「しかし、セラ殿に……」
「そのセラが今大変なことになってるかもしれねえんだぞ。で、それは俺とのことが関係してるかもしれねえ。っていうか、ほぼそうだろ。だから、もうセラとの約束うんぬん言ってる場合じゃねえんじゃねえの?」

 これは、前々から考えていたことだった。
 セラが何らかの原因で兄と不仲になったとしたら、自分が関係している可能性が高い。
 優の父ジュダスは、人間である母・優子と関係した罪で冥界に落ちたという。
 その際、優子も一緒に落とされた。

 彼女はそののち冥界で優を産んだが、衰弱が激しく、出産後まもなく息絶えた。
 優も危うい状態であったが、そのとき冥界を訪れたセラが預かり、癒したことで命を取り留めた、と、藍那の言い分は毎度こうだった。

 だが、その説明には疑問が残る。
 仮に話が本当でセラが優を救ったのだとしたら、仲違いするはずがないからだ。
 藍那の話では、どちらかといえば冥王の方がセラに怒っているということだったが、それだとますます辻褄が合わない。

 冥王の堕天をきっかけに仲違いしたのだとしたら、怒るのはむしろ裏切られたセラの方ではないのか。
 だから、優は藍那の話に嘘が含まれているとある時期から確信するようになっていた。

「それはまあ……そうかもしれぬな。私もセラ殿はもう少し早くおいでになると思ったが……。わかった、いいだろう、話してやろう」

 藍那は調査の手を止めて、こちらに向き直ると、巨大な九尾の狐の姿になった。
 格好つけたいときになる姿だ。
 そうして、尻尾をゆらしながら、重々しく話しだそうとしたその時、壁のタイルの一部が光り出した。

「なんだ?」
「これは……」

 光は急速に強くなり、あたり一体に広がって一人と一匹を包み込む。
 光があまりに強すぎて目を開けても何も見えない。
 次の瞬間、視界が暗転し辺り一面が闇となる。

「藍那? 藍那いるか?」
 
 しかし返事はない。
 いつの間にか藍那は消えていた。
 真っ暗な闇だったのが、次第に目が慣れてきて辺りが見え始める。
 そうして浮かび上がってきた光景は、この世の地獄だった。