信がマウリと再び会えたのは夕食の席だった。
アルに連れられて屋敷の一階、先ほど入った部屋の左隣の部屋に入ると、そこは三十畳はあろうかという食堂だった。
天井からはシャンデリアが垂れ、赤いペルシャ絨毯の上の長テーブルの上には燭台とイタリア料理が並んでいる。
その一番上座、テーブルの端にマウリは座っていた。
その右側にはカミラとその夫らしき男性、そして左側の席は一つ空いてその隣にロッシと若い女性、そして小学生くらいの子供が二人いた。
若い女性は娘かと思ったが、なんと妻だった。
そしてさらに下座にはボルガッティ、アガッツィ、ブルーノと続く。
この席次が組織内での力関係を物語っていた。
一見二番手に思えるアンダーボスのボルガッティがカミラとロッシより下座にいるということは、そういうことだ。
信は席次を見ていろいろ考えながらマウリの隣の席に近づいた。
すると、マウリが立ち上がって椅子を引いてくれる。
日本では経験のなかったこういった紳士的気遣いにはまだ慣れない。
「あ、ありがと」
イタリア語で礼を言い、椅子に腰かける。それを見計らったかのようにロッシがスプーンでワイングラスを軽く叩いた。
その音に、それまでざわめいていた食堂が静かになる。
ロッシは咳払いをして芝居がかった口調で話し始めた。
「本日は実にめでたい日だ。リコの息子が戻った! 我がファミリーを率いるドン・マウリが戻ったのだ! 我々はあなたを歓迎し、忠誠を誓います」
そこで一拍おき、マウリに向かって軽く会釈をする。マウリは顎を引いてグラスをわずかに掲げた。
ロッシの演説はまだ続く。
「そしてこちらに座っているのがドンの婚約者のシン・ハタケヤマだ。我々はあなたも歓迎します。これからここで良き日を送れるように」
ロッシはそう言ってくれたが、他の面々は歓迎ムードではないようだった。
猜疑心と好奇心と嫌悪が入り混じった視線を向けられる。やはり同性愛に抵抗がある人の方が多いようだ。
あるいは、マウリがドンになることに賛成していない者が多いのか。
後者の方が事態はより深刻である。
信は紹介に会釈で応じながらこちらのファミリー内の力学についていろいろと考えていた。
「では私の話はこのくらいにして、あとはドン、お願いします」
ロッシの言葉に頷き、マウリは立ち上がった。そして全員を見た後、冷え冷えした声で言った。
「紹介に与ったマウリ・バルドーニだ。一言言っておく。俺を利用しようとした者はそれ相応の報いを受けることになる。それを心しておけ」
そしてロッシを見据える。マウリもここでの実質的トップは彼だとわかっているようだった。
ロッシはその視線を真正面から受け止めた。
二人の視線が交錯し、火花を散らす。
ハラハラしながら見守っていると、マウリは続けて言った。
「もう知っていると思うが、俺はここに来る前ナポリのバルドーニファミリーにいた。そこで殺し屋として訓練され、あらゆる汚れ仕事をさせられた。紛争地帯に行かされたこともある。お前らはそれを知ってたよな? 知っててただ見ていた。そして、叔父が死ぬと慌てて俺を呼んだ。俺は、それを忘れない。お前らが何をしたかを忘れない。ここへ来たのはアルに恩があるからだ。あいつには向こうで何度も命を助けられたからな。それ以外の動機はないし、もちろんファミリーへの愛着もない。それを全員がわかっておけ。以上」
マウリは威圧するように言って席に戻った。
しばらくは誰も口を開かなかった。マウリに圧倒されていたのだろう。
少し経ってやっと口火を切ったのはロッシだった。
「と、いうことだ。皆、わかったな? さあ、食事を始めようか。では乾杯」
「「「乾杯」」」
それでやっと呪縛が解けたかのように、全員が盃を掲げ、食べ始める。
目の前には魚介のトマトスパゲッティや、生ハムとモッツァレラとトマトのサラダや、ライスボールといった御馳走が所狭しと並んでいたが、最初の方は味がしなかった。
場の空気が張り詰めすぎていたのだ。
個人的に敵対する相手には絡め手でいくタイプの信には、マウリの牽制はやりすぎのように思えた。
初めての食事会はもうちょっと友好的でもよかったのではないか。
だからそれを小声でこそっと言うと、マウリは首を振った。
「ナメられたら終わりだ。あれぐらいでいいんだよ」
「そっかぁ……」
「ナイフ投げなかっただけマシだろ?」
冗談めかしてそう言い、唇の端を引き上げたマウリに、笑い事ではないと言う。
「本当に……心臓とまるかと思った。いきなりあんな……」
「ははっ、ごめん、癖でつい」
「癖って……」
「信がいるところではあんまやらねえようにしてたんだけど……バレちゃったな。けどああやっとかないとさ、ナメられるから」
「まあ、じゃあしょうがないね……」
そこでふと気づいたようにマウリが言う。
「つうか信、イタリア語喋れたんだな。今すげー自然にイタリア語で喋ってて一瞬あれってなった」
「そう。ちょっと勉強したから。英語よりは喋れないけど」
「いや十分だよ。発音もめっちゃ綺麗だし。つうか英語もだけど、信って語学得意だよなー。俺の英語めっちゃなまってるし。イタリアなまりっつーか」
「伝われば大丈夫だよ。普通にうまいよ、マウリも」
信が本格的に英語を習得したのは玉東に行ってからだ。
それまでも学校で習ってはいたが、平均的な日本人と同じく読み書き聞き取りはできるが話せない、という状態だった。
それが話せるようになったのは、外国人観光客が多い店で接客していたからだ。
最初は笑ってイエスと言うだけだったが、そのうち鍛えられて日常会話程度なら支障なくできるようになっていた。
だが、マウリは信よりも英語が堪能で、どちらかというとバイリンガルに近いくらい喋れる。
おそらくそういった英才教育を受けたのだろう。
確かにアクセントは独特だが、聞き取りづらいというほどでもなかった。
「そうかあ? 英語圏の人にはなまってるって言われるけど。ま、信がそう言うならいいか」
マウリは上機嫌に言ってモッツァレラをぱくりと食べた。
先ほどこの場の全員を射殺しそうな目で凄んでいたのに、切り替えの早さがすごい。
裏社会で生きていくってこういうことか、と圧倒されながら食事を進めていると、不意に左隣のロッシから声をかけられた。
「食事は口に合うかな?」
「ええ、とても美味しいです」
「改めて紹介しよう。私はフィリッポ・ロッシ。こちらは妻のビアンカと子供たちだ。どうぞよろしく」
そう言って差し出された手を握り返す。
「よろしくお願いします」
すると、一つ向こうの席のビアンカが微笑んで会釈する。
凄みのあるブロンドの美人だった。非常に意志の強そうな目をしている。
それに若干ビビりながら会釈を返し、話のとっかかりを探す。
「一緒になられて長いんですか?」
「ああ。もう八年になるかな。妻とは旅先で出会ってね。一目ぼれって奴だよ」
「お美しいですね」
「モデルなんだよ」
するとここでビアンカが口を開いた。
「ニューヨークで出会ったんだよね」
「そう。普段はファッションショーなんて行かないんだけどね、知り合いに誘われてたまたま行ったら運命だったわけだ」
「ふふ、そうそう。けどここに来た時はびっくりしたなー。君もびっくりしたんじゃない?」
その問いに素直に頷く。
「そうですね、別世界というか」
「だよねえ。こんな世界があるなんて知らなかった。それを見せてくれたダーリンには感謝しないとね? 毎日刺激的で飽きないもん」
ビアンカはそう言ってロッシの頬にキスをした。
「そりゃよかった。この通りビアンカはファミリーでは珍しく全くの外部から来た子なんだよ。だから色々教えてもらうといい。この子も最初の頃は苦労したようだから」
すると、ビアンカは微笑した。
「何でも聞いてね」
「よろしくお願いします」
そう言って会釈をしながら、ビアンカ経由で自分を取り込む、あるいは情報収集するつもりかもな、と思う。
勘ぐりすぎかもしれないが、店にいた頃もその後議員になってからも、老獪な政治家たちの駆け引きを散々見てきたのでそう思わずにはいられなかった。
ちらっとマウリを見るとわずかに眉をひそめていたが、何も言わない。信と同じようなことを考えているのかもしれなかった。
二人はその後、向かいに座ったカミラ夫妻も交えて歓談し、その日の夕食を終えた。
◇
部屋に戻ると、背後からマウリが抱きついてきた。
振り返ると、キスされるかと思いきや、マウリは真剣な顔で何か話したそうだった。
水を向けてやると、少し口ごもったのちに言う。
「あのさ、来る途中に話したことだけど……俺かラザロかどっちか選んでほしいって話」
「うん」
「あれとりあえず保留でいいかなって。信にとってはどっちも同じらしいし、体も同じなんだからそりゃ混乱するよな。だから、今は結論を出さなくていい。ロドリゴのこと聞いたときはちょっと動揺してて……変なこと言っちまった。ごめんな」
「いいよ。動転して当然だよ、大事な人だったんだから」
ひとまず結論を出さなくていいと言われてほっとする。
湖のように青い目を見つめていると、マウリは続けて言った。
「だから……また俺と付き合ってくれる? お前をハタケヤマのとこに一人で帰らせて、酷いことしたと思う。後であいつは『処理』するつもりだったけど、でも見捨てられたように感じたよな? 本当ごめん」
「そんなことない。家族を大事にするのは当然だよ」
「じゃあ、怒ってない?」
請うような表情で聞かれ、首を振るとマウリはわずかに笑みを浮かべた。
「よかった。キス、していい?」
答える代わりに目をつぶると、唇に柔らかい感触が触れた。
優しく包み込むような触れるだけのキス。マウリは常に紳士的だった。
遠慮しているのを感じ取って自ら口を開くと、誘われるように舌が入ってくる。
舌を絡ませながら快楽を追っていると、マウリが不意に口を離し、膝裏に手を差し入れて信をひょいと横抱きにする。
「っ……!」
マウリは華奢ではないが細身で、体格が信とほぼ変わらない。
白人にしては小柄なのだ。
目線は172センチの信の少し上だから、多分174とか5とかそのくらいだろう。
日本人男性としては低くはないが、ヨーロッパにおいては低めでそこまで体格がいいわけではない。
その体のどこにそんな力があるのか。
驚いて思わず肩にしがみつくと、マウリは笑った。
「大丈夫。落とさねえよ」
そうしてリビングを抜けて寝室の扉まで行く。
そこでふと、マウリはつい最近怪我が治ったばかりだということに気づいた。
骨折、全身打撲、裂傷、火傷等々、満身創痍で全治三か月と言われたのがつい三か月前なのだ。
それなのにこんなに重いものを持って大丈夫なのか?
「マウリ、怪我は……?」
「もう治ったよ。ドア、開けてくれる?」
「痛いところない?」
「平気平気」
マウリは平気とか言ってるが、正直マウリとラザロの「平気」は信用ならない。
銃で撃たれても「平気」とか言ってた男なのだ。多少痛くても絶対言わないだろう。
一刻も早く降りたいのを我慢して信は寝室の扉を開けた。
すると、ベッドまで運ばれゆっくりそこにおろされる。
大丈夫だったかと様子を窺っていると、マウリは紺のジャケットを脱いでベッドに膝をつき、信に覆いかぶさった。
そしてまたキスをされる。
この四つん這いの体勢も正直腕に負担がかかりそうである。
そう思った信はその体勢で少しキスをしてから身を起こし、マウリを押し倒した。
よし、これでいい、と服を脱ぎ始めると、相手は驚いたように目を見開いた。
「え、何?」
「いいから寝てて。全部やってあげるから」
そして固まっているマウリの腹を撫で、ズボンのジッパーを降ろしてそれを口に含む。
すでに兆し始めていたそれに舌を這わせると、太ももがびくりとし、マウリが吐息を漏らした。
そして優しく信の髪を撫でる。
信はそのままそれが完全に勃ちあがるまで愛撫を続けた。
そして、口を離し、いよいよという感じで上に跨がると、快楽に浸り、頬をわずかに上気させたマウリが予想外のことを口にした。
「あの……俺準備してねえけど」
「準備?」
「いやほら、男同士でやるときって色々あるんだろ? だけどこっち側だとは思わなかったからやってなくて。だからそのままやると大変なことに……」
信はそこでやっと言っている意味を理解した。
「大丈夫、マウリが抱く側だよ」
「そうなのか、てっきり……」
マウリはあからさまにホッとした表情になった。
そして身を起こそうとするので押し戻し、先ほどほぐしておいた後孔にマウリのものを入れた。
「ほら、こうすれば……」
「っ……!」
「ん……」
「信っ、まさかこんな……」
どうやらマウリは騎乗位を知らなかったらしい。
それで信が抱こうとしていると勘違いしたのだろう。
性に潔癖なマウリはこういう経験がほとんどないと言っていた。
そして奥手なのか、これまではキスやペッティングどまりだったので、これが二人の初めてになる。
さすがに初回から騎乗位はいかがなものかとも思うが、怪我が気になりすぎてこうしてしまったわけだった。
「フフ、気持ちい?」
「あっ……うん……っ」
「はぁ、はぁ……私も……気持ちぃよ」
腰を動かし始めると、マウリは切羽詰まったような表情でシーツを握りしめた。まるで生娘のようだ。そうしてしばらく固まってされるがままだった。
「はっ……うっ……信っ……!」
「マウリ……はっ……愛してるよ」
シーツを掴む手に自分の手を重ね、そう言った瞬間にマウリが喉をのけぞらせ、かすれた声を上げて絶頂する。
それを見て信は腰を上げて性器を抜くと、マウリに覆いかぶさってキスをした。
最初は触れるだけ、それを徐々に深くする。
キスが終わったとき、マウリは息も絶え絶えだった。
「マウリ、息してた?」
「はぁはぁ……いや、できなくて」
「鼻でするんだよ。ほら、もう一回」
そして何か言う前にまた口を塞ぐ。
歯列をなぞりながら、信はその胸の飾りをいじった。
それにビクリと反応し、やんわり押し返そうとするが力は弱い。
押せばいけそうだ。信は構わず愛撫を続けた。
そして手を下に移動させ、局部をやんわり刺激してやると、また芯を持ち出す。
「若いなあ」
日本語で呟くと、マウリが潤んだ目でなに、と見上げてくる。
信は我慢できなくなって言った。
「一緒にシャワー浴びようか」
「?……いいけど。でも信……」
そして有無言わせずマウリをシャワーに連行し、ポディソープを付けて全身に塗りたくり、体を撫で回す。
吐息を漏らすマウリの口をキスで塞ぎ、局部を擦り合わせ、手でしごくとその体がビクビク震えた。
先ほどよりも直接的な快感に腰が痺れる。
信は唇や喉元や鎖骨にキスしながら下半身への刺激を続けた。
「んっ…….はぁ、はぁ、」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
二人の喘ぎ声が浴室に反響し、くちゅくちゅという淫らな音が嫌に大きく聞こえる。
やがてマウリは蕩けた表情で再び達し、信もほぼ同時に達した。
口を半開きにし、頬を紅潮させ、肩で息をするその姿を目に焼き付ける。
隙のない姿しか見せない普段とのギャップにやられ、猛烈に抱きたかったが、そんなことをすれば過去のトラウマが蘇るかもしれないのでやめておいた。
マウリは幼少時に男からレイプされている。その時の記憶はラザロしか持っていないので大丈夫な気もするが、万一ということもある。
その辺りは今後様子を見て徐々に慣らしていった方がいいだろう。
ラザロは絶対抱かせてくれないだろうが、マウリはワンチャンいけそうな気配がしている。
信はどちらもいけるが、実は抱く方が好きなタイプだった。
男を快楽堕ちさせるほど楽しいこともない。
「マウリ……よかったよ」
「はぁ、はぁ、はぁ……何というか……すごかった」
マウリが息を整えながら若干怯えたようにこちらを見る。
「ふふっ、ちょっと飛ばしすぎちゃった? ごめんね。さ、もう一回体洗わないとね。今度はちゃんと洗ってあげる」
「うん、俺も……」
さすがにもう一回は負担が大きそうなので、普通に体を洗ってやり、パジャマを着てベッドに戻る。
マウリはバスローブだった。
眩しいほどに白く、適度に筋肉質なその胸元にまた誘惑されそうになるが自制し、隣に横たわる。
すると首の下に腕を差し入れられた。いわゆる腕枕である。
つい最近まで折れていた腕が痛まないか心配したが、枕が頭を支えていて大丈夫なようだった。
体を寄せるとマウリは息をつき、ぼそっと言った。
「信って猫被ってたんだな」
「えっ? 何で?」
「なんか……食われたって感じ」
「やりすぎだった? ごめん、マウリがセクシーだったからちょっとがっついちゃった」
そう言って眉を下げてみせると、マウリが苦笑した。
「その顔ずるいな。可愛すぎる」
「ふふっ、ごめんね? 次は控えめにする」
「いいよ、やりたいようにやって。お前なら、全部許す」
「そんなこと言わないでよ。歯止めがきかなくなっちゃうだろ」
「愛し合ってるからそんなの必要ないだろ?」
「かもね」
マウリは信の額にキスをし、髪を撫でて囁いた。
「愛してるよ、おやすみ」
「私も愛してる。おやすみ、また明日」
信はマウリの手を取って目を瞑った。
そして、満ち足りた気分で深い眠りに落ちてゆくのだった。