6-12


 その日の昼、二人は連れ立って本部の食堂へ行った。
 到着すると、既にテーブルについていたファミリー幹部とその家族が一斉にこちらを見る。
 ビュッフェ形式で並べられた食事をお盆にのせてテーブルへ行くと、皆が口々に挨拶した。

「おはよう、ドン・マウリ」
「おはようございます、ドン」

 ラザロはそれに鷹揚に返して席に着いた。ラザロ自身はこの場に来るのが初めてのはずだが、マウリの記憶を持っているのでだいだいわかっているのだろう。
 この二人で面白いのは、ラザロは完全にマウリの記憶を持っているがマウリはラザロのことをほぼ知らないということだった。
 そしてラザロは、一応はマウリの意志を尊重してローマのバルドーニファミリーでドンとして振る舞うことにしたらしい。内心、出てきた途端にオーストラリアに帰るぞ、と言われる気がしていた信には意外だった。
 ラザロのふるまいを観察しながら乾杯に応じ、いただきますと手を合わせてからオムレツを食べ始めると、ロッシがラザロに聞いた。

「体調はどうだ? ずいぶん酷かったようだが」
「もう治った」
「そうか、それはよかった。手厚く看病してもらって治りも早かっただろう」

 そうして信をちらりと見る。さすがに信が丸二日外に出て来ないのは不審に思ったかもしれない。
 だがまさかマウリの交代人格が現れたなどとは思わないだろう。

「まあな。何か変わったことはあったか?」
「ナポリの裏切り者達への襲撃を早めようかという話になっている。向こうにあなたの情報が行く前に決着をつけたい。どう思う?」
「準備が整ってればな。準備できてるのか?」
「ほぼ。後は号令さえあれば決行できる」
「いつが希望だ?」
「二週間後」
「お前らも同じ意見か?」

 ラザロが聞くと、その場にいたファミリー幹部は全員同意した。
 そこにいたのは、顧問(コンシリエーレ)のロッシ、アンダーボスのボルガッティ、そしてカポのアガッツィ、ブルーノだった。
 来た時に和気あいあいと話していたところを見るに、親しい間柄らしい。つまり彼らはロッシ派ということだ。

「わかった。カミラと相談して検討する」
「顧問も同じ意見だよ」

 年老いたボルガッティが言う。だがラザロは頷かなかった。

「いや、直接聞いてから決める」
「我々の言うことが信用できないと?」
「できないね。なんせ俺をあの家に放置した奴らだからな」
「その件についてはもう話がついてるだろうっ」
「納得はしたが信用はしてないってことだ。そう簡単に信用を取り戻せると思うな。それから、アルトゥーロはカポに格上げする。いいな?」

 アルトゥーロというのはアルの本名だ。
 ぴしゃりと言って辺りを見回すラザロにアガッツィが控えめに反対した。

「しかしカポはもう足りていますし……」
「だったら一人格下げしろ。俺は、アルの部隊としか戦わない。信用できないからな」
「……」
「なんだ、都合悪いことでもあるのか?」
「いえ、そんなことは……」
「じゃあそれで。おいアル! こっち来て一緒に食え」

 ラザロが呼ぶと、壁際に立って警備していたアルがやってきた。そして信の向かい側の空いている席へ腰掛けた。

「失礼します」
「これやる」

 ラザロはアルの方にパンの載った皿を押しやった。

「ありがとうございます」

 アルが丁寧に礼を言って頭を下げ、パンを食べ始める。プライベートでは砕けた口調でも、皆の前では敬語らしい。
 そのやり取りの間、食堂は静まり返っていた。皆が固唾をのんで二人の動向を見ている。
 ロッシは苦々しそうな顔をしていたが、何も言わなかった。
 ラザロは見事に主導権を握ったのだ。ファミリーに来た当初から思っていたことだが、マウリはこういった組織内での立ち回りに非常に長けていた。そしてそれはラザロも同様らしい。老獪な政治家よろしくファミリーでの権力争いをうまく立ち回って自分の地位を確立していっているのだ。
 そして腹に一物も二物もありそうなファミリーの実力者・ロッシと対等にやり合っている。これは見事というほかなかった。

「そういや、今日の午後パウロが到着するそうです」
「わかった」

 パウロはマウリの腹心の部下で、ドン・ネロの甥であるアウグストの一派がマウリの部下を手あたり次第尋問しているナポリのファミリーから逃げ出してこちらに合流する予定だった。
 これでまた一人マウリとラザロの味方が増える。あとはカミラがどの程度信用できるかでこのファミリーでトップに立てるかどうかは決まるだろう。
 そのために自分がすべきことは、カミラ、及びロッシの家族と仲良くなって情報収集をすることである。そして、味方にできそうな人が誰かを見極め、懐柔して引き入れる手助けをする。
 こういった組織は往々にして男社会で、女性や子供、及び男とカウントされない信のような存在は軽んじられるものだが、だからこそ動きやすい。そして幹部や構成員が妻の助言を受けて動くことも意外と少なくない。
 極道の客を何人も扱ったことのある信はそれをわかっていた。
 日本とこちらとではまた事情が違う部分もあるのかもしれないが、組織での血族主義と仲間意識が強いことは共通している。だからある程度似たものとみなすことができるだろう。

 このメンバーの中でまず誰に近づくべきか。それはこちらに友好的なカミラ一派か、敵対的なロッシ一派か。答えはその両方である。
 幹部のパートナーの中で唯一男である信はこういうときに非常にアドバンテージがある。なぜなら、「例外的な存在」としてどちらにも属さず、どちらにも属することが許されるからだ。
 だから信はここに来てからというもの、ロッシ一派の幹部の妻たち、及びカミラ一派の幹部の妻たちの両方に愛想を振りまいて関係を築いていた。無邪気を装ってどちらにも友好的に近づき、情報を収集する。
 ここまで集めた情報によるとロッシ一派の妻たちのトップはロッシの妻ビアンカだが、ビアンカはアンダーボスのボルガッティの妻ジュリアと対立関係にある。ジュリアはビアンカより少し年上でやはり気が強い迫力のある美人だった。だから当然の結果としてそりが合わない。
 そして男たちは一枚岩に近いロッシ一派の妻たちはビアンカ派とジュリア派に分かれていた。

 一方カミラのパートナー派閥の方はというと、本来トップにいそうなカミラの夫はファミリーと距離を取っており、組織内の派閥争いにはほぼ関与していない。
 彼を除くと、夫の立場的にトップなのはカミラの腹心の部下であるアレッシオ・ブルーノの妻マルティーナである。
 茶髪の巻き毛の丸顔の女性で、よく編み物をしている。ただ彼女は温厚な性格で自己主張をしないため、派閥の中では下の方だった。
 代わってトップにいるのは二十代で構成員をまとめるカポになった出世株エマヌエーレ・フェラーリの妻エンマだ。
 なめらかな赤毛を長く伸ばしたエンマは上昇志向が強く、いつもいかに夫を出世させるかを考えているような女性だった。歳は夫より少し上の三十過ぎくらいで子供は三人。
 カリスマ性があり、彼女の周りにはいつも人が集まっていた。
 信はローマのファミリー内の権力闘争に参戦するにあたり、まずこのエンマとロッシの妻ビアンカに近づくことにした。
 そしてそれは今のところうまくいっている。
 
 ファミリーの食卓では、正式な会食で席次が決まっているとき以外は男は男、女子供は女子供で固まって食事をすることが多く、信は女子供グループだった。
 そしてその女子供グループの中にも大まかにわけてビアンカ派とエンマ派があるわけだが、そんなの気づいてませんよ風を装ってどちらのグループにも入っていっているわけだった。
 そして今のところそれは許されている。
 今日はビアンカ達と親交を深めるか、と思い、信は話が途切れたところを見計らって口を開いた。

「このあたりでおすすめのお店ってあります? 今日ちょっと出かけてみようかと思うんですが、よくわからなくて」
「ああ、それなら『アルフォンソ』で全部揃うわよ。ちょうど今日行く予定だったから一緒に行く?」

 ビアンカの言葉に頷く。

「いいんですか? じゃあお願いします」
「うん。休日は混むからねぇ~、平日に行くのが一番よね」

 ビアンカがそう言うと、周りにいた妻たちが次々に同意する。
 そうして話題はハイブランドの新作バッグの話へと移ってゆく。信はそれに相槌を打ちながら、アルと何事か話し込んでいるラザロ横目に食事を終えたのだった。