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 オーディション会場は、都内の高級ホテルのパーティ会場だった。

 広々した会場は絨毯敷きで、天井からはシャンデリアが下がっている。

 そこが衝立で二つに区切られ、片側には椅子が並べられて俳優達が待機していた。

 男性が多いが、女性もちらほらいる。

 その中によく知る顔を見つけ、優馬は声を漏らした。

 

「リーダー……?」

 

 入って正面奥で台本と睨めっこしていたのは、スーパーロータスのリーダー、佐渡淳哉だった。

 襟足の短い黒髪に冷たく整った顔立ちは見間違えようもない。

 触れれば切れそうな怜悧な美貌は、しかし見かけだけだと知っている。

 優馬は近づいていって挨拶した。

 

「お疲れ様です、リーダー」

「あれ? 優馬くんも呼ばれてたんだ」

 

 淳哉は顔を上げ、意外そうに優馬を見た。

 

「はい。『探偵・城山霊人』のオーディションですよね?」

「ああ。座ったら?」

「じゃあ隣、失礼します」

 

 ポンポンと隣の椅子を叩く淳哉に断りを入れて腰掛ける。

 椅子はふかふかで座り心地がよかった。

 オーディションといえば硬いパイプ椅子を想像していたのに。

 

「受けるんだったら言ってくれればよかったのに。びっくりしたなあ」

「すみません、あんまりタイミングがなくて」

「いやいや、謝ることじゃねえけど。で、何の役? まさか同じ役じゃねえよな?」

「篠崎純也です。先輩は?」

「ああ、よかった。俺は相川怜治」

「それって、主人公のライバルですよね? すごい、メインキャストなんですね」

 

 すると、淳哉は少し困ったように頭を掻いた。

 

「そうなんだよなあ。俺、演技とかもしたことねえのに、大丈夫かな」

「大丈夫ですよ。先輩は画だけでもつんで」

「何だそれ」

 

 淳哉は優馬が冗談を言ったと思ったのか笑ったが、それは事実だった。

 淳哉は、美形揃いの芸能人の中でも頭ひとつ抜ける容姿なのだ。

 顔のパーツの配置は完璧で、真顔でいると、近寄りがたいほどに冷たく整っている。

 男臭さがありすぎない程度に男らしく精悍に整った顔立ちだ。

 

 彰がどちらかといえば中性的な優男だとすると、淳哉は男も憧れるような二枚目だった。

 だから、演技が棒でも、それを補ってあまりある画力があるわけだ。

 だがしかし、淳哉はさほど自分の容姿が特別だとは思っていないようだった。

 

「本当ですよ。先輩、めちゃくちゃ画力あるんで」

「画力?」

「イケメンってことですよ」

「真顔で言うなよ。照れるだろ」

「事実なんで。何か先輩って無自覚で女の子泣かせてそうですよね」

「おまっ、失礼なこと言うなよ」

 

 そう他愛無い会話をしていると、出入り口の扉が再び開いて、芹沢がアシスタントの女性と共に入ってきた。

 その途端に俳優のほとんどが椅子から立ち上がり、会場が静まり返る。

 それを気にするふうもなく、芹沢は片手を上げて鷹揚に挨拶した。

 

「どうもね」

 

 すると、俳優達が口々に言う。

 

「おはようございます」

「ごめんねえ、こんな早くに。この時間しかあいてなくて。ケツある子もいるだろうし、早速始めようか」

「よろしくお願いします」

 

 皆が頭を下げたのに頷き返すと、芹沢は衝立の向こうに消えた。

 静まり返った会場内に、係員が最初の俳優を呼ぶ声が響き渡る。

 飛び上がるように椅子から立ち上がった若い役者は、その場に台本を置いて消えていった。

 つまりは、全て暗記しているということだろう。

 自分も暗記してきてよかった、と胸を撫で下ろしていると、淳哉が焦ったように小声で言った。

 

「やべえ、覚えてねえ」

「台本持っていっても大丈夫ですよ」

 

 ダメとは言われていないから大丈夫だろうとそう返す。

 

「そ、そうかな?」

「はい。あの人、周りにプレッシャーかけてるんですよ。ペース乱されちゃダメです」

「あ、ああ、だな」

 

 ようやく落ち着きを取り戻した淳哉は、再び台本読みに戻った。

 意外とこういうところもあるんだな、と思いながら順番を待っていたが、なかなか呼ばれない。

 待機室の人数が一人減り、二人減り、やがて誰もいなくなって二人だけになる。

 

「最後ですね」

「ああ」

 

 その時、淳哉が呼ばれて、数分後に戻ってきた。

 緊張がとけたのか、戻ってくるなり深々と息を吐いた淳哉に小声で聞く。

 

「どうでした?」

「わかんねえ。とりあえずやるだけやった」

「お疲れ様です」

「優馬くん次だな」

「ですね」

 

 そう言うのと同時に名前を呼ばれた。

 優馬は台本を置き、芹沢が待つ会場へと向かった。

 待機室と同じ内装の会場の奥には長テーブルが置かれ、そこに、芹沢ともう二人が座っていた。

 芹沢は向かって左端で、優馬が入ってくると笑顔で手を挙げた。

 

「待たせてしまって悪かったね」

「あ、いえ……」

 

 そして隣に座る壮年の女性と中年男性の方を向いて言う。

 

「ほら、この子が赤城くん」

「ああ、例の……」

「夏川さんの甥っ子だよ。苗字が違うけれどね」

「そうかそうか」

「赤城くん、こちらプロデューサーの郷田さんと、キャスティング担当の斎藤さんだ」

 

 と、隣に座る痩せぎすの男と、その向こうの白髪の女性を順に指して紹介する。

 優馬は会釈をして、挨拶した。

 

「赤城優馬です。よろしくお願いします」

「よろしくね」

「話はよく聞いているよ。よろしく」

 

 そう言ったあと、郷田は肩にかけたカーディガンを直して質問した。

 

「イギリスに留学してたんだって?」

「はい。中学生のときに、ロンドンで勉強していました」

「それはそれは。演技の勉強もしていたそうだね」

「勉強というほどでは……。でも、セミナーに行ったりはしていました」

 

 留学時代、ロンドンの劇場に入り浸っていた優馬は、そこでできた知り合いに勧められて、役者養成講座なども受けたりしていた。

 芹沢がそれを知っているということは、叔父が話したのだろう。

 父に知れたら大変なことになりそうだった。

 

「二十歳にして世界を知っているわけだ。末恐ろしいね」

「まあ、ただ経験はないからね。長い目でということで」

 

 芹沢がとりなすように言う。

 それから、オーディションが始まった。

 

「じゃあ始めようか。相手役は俺が読むよ」

「はい。よろしくお願いします」

 

 優馬は、深く深呼吸をしてから台詞読みに入った。

 繰り返し読んで暗記した部分が、すらすらと口をついて出てくる。

 指定されたのは、恋人を殺された青年、篠崎が主人公の探偵に真相を聞くシーンだった。

 

『まさか……じゃあ、麗美は殺されたっていうんですか?』

『ああ、そうなるな。このハンカチの中に包まれていたボタン……これは、おそらく犯人のものだ。揉み合った際に取れたんだろう。容疑者の一人だった秋津が事件当日に着ていたシャツのボタンと同じだ。指紋も残っているだろう。これを、麗美さんがこのハンカチにくるんで最後に隠した。ハンカチは、あんたがあげたものだな?』

 

 それは、昔篠崎が麗美にあげた名前の刺繍入りハンカチだった。

 

『はい。間違いありません』

『……これは、見つかるはずのない物証だった。犯人にとっても想定外だったろうな。だが、麗美さんの想いが、これを遺し、俺に見つけさせた』

『そんな……ああ、麗美……。これは、見つかるはずではなかったとあなたは言った。いったいどこにあったんです?』

『リビングのテーブルの中だ』

『しかし、そこは警察が調べたはずでは?』

『見える部分はな。犯人も見ただろう。だが、隠し引き出しがあった。そこに、大事なものを入れていたようだ。家族の写真も、あんたからもらったネックレスも……』

『あなたは一体……』

『信じる信じないは勝手だが、俺は故人の遺した想いが視える。それが強ければな。麗美さんは、これを見つけて欲しがってたんだよ』

『……うっ、うっ、麗美……』

『犯人にここで刺されて助からないと悟った麗美さんはここに証拠を隠したんだ』

 

 怒りと後悔で、拳を握りしめる。

 ずっと疑っていたが、やはり秋津だったのだ。

 麗美への想いをこじらせて、ストーカーまがいのことまでしてきた男。

 

『クソッ、あいつ……! 麗美は大学時代にバイト先で、しつこくされていたんです。バイトを辞めてからも付き纏われて怖がってた……。クソッ、あの時何とかしておけば……』

『あんたは麗美さんとの結婚に乗り気じゃなかったって聞いたけど、その理由は?』

『……俺の稼ぎじゃ贅沢させてやれないし、幸せにしてやれない、と思ったから。それで少し距離を取っていました。……でもまさか、こんなことになるなんて』

『では、麗美さんが一方的にあんたを好いていたという話は?』

『そんなことはありません。好きでした。ずっと……。これからもずっと……』

 

 そこで台本は終わっていた。

 しばしの沈黙の後、芹沢が拍手をした。

 その音でハッと我に返る。

 

「素晴らしい!」

「逸材ですな」

「君、本当に演技経験ないんだよね?」

 

 斎藤に聞かれ、頷くと、信じられない、と言われた。

 すると、郷田がしたり顔で言う。

 

「いるんだなあ、こういう子が。十年に一人位出てくる」

「磨けばもっとよくなるわね」

「端役にしておくのがもったいないな。容姿も癖がなくていい。視聴者が感情移入しやすいタイプだ」

「探偵事務所に入れちゃうというのは?」

 

 芹沢の提案に、郷田が頷いた。

 

「いいね。麗美の死をきっかけに霊能力が目覚めたという設定は?」

「それでいこう。実はボツにしたキャラがいてね。篠崎みたいな、平凡だけど傷を負った男だったんだけど、イメージが湧かなくて出すのをやめたんだ。だけど、あれは篠崎だったんだよ」

 

 とんとん拍子に話が進んでいくのに恐怖を覚え、優馬は思わず口を開いた。

 

「あの……」

「ん、何だ?」

「僕、演技経験とか全く無くてですね、そういった大きな役はちょっと……」

「大丈夫、習うより慣れろ、だよ、この世界は。なあ、プロデューサー?」

 

 すると、郷田は頷いた。

 

「ああ。やっていくうちにわかっていく。そういうものだ」

「はあ……」

「よし、ということで、決まりだな」

「そうね。異論なし。では、お先に」

「お疲れさん。撮影始まったらよろしく」

 

 そう言った郷田に、斎藤は笑って返した。

 

「また若い子泣かせないでよ。それじゃあ」

 

 そうして、会場から出ていった。

 すると、芹沢と郷田はドラマのことについて何やら話し出した。

 自分が聞いて良い話ではないだろう。

 そう思い、失礼します、と呟き会場を出ようとすると、芹沢に呼び止められた。

 

「ああ、ちょっと待って。プロデューサーとこの後食事するんだが、一緒にどうだ? 良ければ佐渡くんも一緒に。彼も合格だから。予定があるなら無理にとは言わないが」

「ええと、リーダーに聞いてきます」

「うん。よろしく」

 

 そこで優馬は少し芹沢に近づき、小声で言った。

 

「あ、でも……叔父のこと、リーダーには言ってないんです。なので……」

「ああ、そうなんだ。わかった。秘密にしておくよ」

「すみません、よろしくお願いします」

 

 優馬が夏川エンターテインメント会長の親戚であることは、事務所では一部を除き知られていない。

 それは、優馬がそう望んだからだ。

 特別扱いをしてほしくなかったし、そのせいでグループから浮くのも嫌だった。

 もし、優馬の出自が知れたら、マネージャーの接し方も、仕事の回され方も変わるだろう。

 そういう道を辿りたくなかった。

 だから、芹沢に口止めしたわけだった。

 

 優馬が待機室に戻ると、腕組みをして待っていた淳哉が立ち上がった。

 

「どうだった?」

「受かりました。リーダーも合格だそうです。でも、これは内々にとのことです。正式発表までまだ間があるので」

「マジか!」

「はい。それで、芹沢さんがよければこの後食事でもって。プロデューサーさんも一緒です。この後、予定ありますか?」

「練習だけだな。えっ、マジ? そんなことあんの?」

「何か気に入られたっぽいです。行きます?」

「いや絶対行くよ。優馬くんも行くだろ?」

「はい。じゃあそう伝えてきます」

「俺も一緒に行くよ」

 

 二人で会場に戻ると、芹沢達は茶を飲みながら歓談していた。

 その背後にはアシスタント達が影武者のように立っている。

 二人は優馬達に気づくと話をやめた。

 

「おお、佐渡くん」

「お誘い頂きありがとうございます。ご一緒させて欲しいです」

「そう、よかった。じゃあ行こうか。とはいえ、ここの二階だがね。中華でいい?」

「はい」

 

 立ち上がって歩き出した芹沢についていくと、ひとつ上の階のレストランの個室に通される。

 丸テーブルの中央に回転台がのった典型的な中華料理屋だった。

 奥の窓は一面ガラス張りで、表通りが見下ろせる。

 そこではせわしなく人と車が行き交っていた。

 

 窓を背にして座った芹沢は、メニューをちらっと見たあと置き、好きなの頼んでいいよ、と言った。

 メニューの値段は、どれも目玉が飛び出るほど高い。

 時折叔父とこういう店に来る優馬は適当にメニューを決めたが、淳哉は戸惑っているようだった。

 革表紙のメニューを盾にして芹沢達から隠れながら、こそこそと優馬に言う。

 

「高すぎだろ、これ……。手持ちねえよ。優馬くん、ある?」

「僕もないです」

「だよなあ。どうする? 言うしかねえよな?」

「ご馳走してもらえると思いますよ」

「え、そうか? そう、なの?」

 

 あたふたする淳哉がなぜか可愛く見える。

 優馬は笑いを堪えながら頷いた。

 

「僕らに払えないことくらいわかってますよ」

「そう? ならまあ、いいか……」

 

 恐ろしい位の美形なのに、性格がごく普通なのも面白かった。

 このレベルの見てくれで自惚れていない男も珍しい。

 感覚もまっとうで、近所の気のいいお兄ちゃんという感じだ。

 スパロウが埋もれていたのは、淳哉のこの良さが出ていなかったことも関係しているはずだ、と思う。

 これまではバラエティでは進行役に徹することが多く、真面目な性格ゆえか笑うこともあまりなかった。

 その淳哉から人間味を引き出したのが、幼なじみの彰だった。

 

「そういえば、彰くんはどうしてる? 最近音沙汰なくてな」

 

 店員にメニューを頼み終わったとき、まるで優馬の思考を読んだかのように芹沢が聞いた。

 芹沢は何度か彰とドラマを撮っている。

 特に、一昨年放送された『ひとひらの花弁』は歴史に残る高視聴率を記録し、彼の代表作となったが、その時主人公の相手役を務めたのが彰だった。

 それもあって親しくしているのだろう。

 芹沢の問いに、淳哉は頷いた。

 

「元気にやっています。すみません、ご連絡してなかったんですね。あと連絡させます」

「ああ、そうしてもらえると助かるな。嫌われるようなことはしてないはずなんだが。今回のドラマも、オファーしたのに返事がなくてね」

 

 その途端に淳哉の顔がこわばった。

 

「そうだったんですか」

「まあしかし、無事オーディションも終わったからよかったよ」

 

 芹沢は真意の読めない表情で、わずかに微笑みながら言った。

 それは、優馬が見たことのない、不穏な表情だった。

 

「その……もしかしてその役って……」

「ごめん、悪いこと言っちゃったかな。だけど、佐渡くんと出会えたしよかったよ。結果オーライってとこだな」

 

 芹沢ははっきり明言しなかったが、言わんとしたことは鈍いと言われる優馬でもわかる。

 淳哉は彰の代わりだったのだ。

 しかも口振りからして、彰へはオーディションなしでオファーという形らしい。

 こんなことを言われては気分を害するのは当然だ。

 

 ましてや、相手はあの彰だ。

 どうやら彰にコンプレックスがあるらしい淳哉にとって、これは地雷だった。

 もちろん芹沢はそんなことは知らないだろうから、話の流れで何気なく言ったのだろう。

 だが、淳哉はそれきり口数が少なくなり、会食中ずっと上の空だった。

 

 ホテルを出て別れるときも、心ここにあらずといったようすで、随分ショックを受けたようだった。

 これはまた淳哉と彰の問題が再燃するかもな、と予測したが、それから事態は優馬の予想を超える急展開を迎えることとなる。

 彰が、淳哉に代わりそのドラマに出ることになったのである。