3-6 ※

※無理矢理、言葉責め


「なんだ、大人しくなっちゃったな。ビビっちゃったか。ごめんな、でも一応保険はもらっとかないと」

 そう嘯きながらあちこちに手を這わせる穂波に、章介は唇を噛んで耐えた。
 自分に覆いかぶさって肩や胸、腹を、マッサージとか言いながら撫でまわす相手に、嫌悪感しか感じない。
 しかし、写真を撮られたショックで頭が回らなかった。

「ルール違反、だろ……。消せ」
「うーん、先にルールを破ったのはそっちだからなあ、なんとも……」
「出禁になるぞ」

 店内での撮影は禁止されている。破ったら入店禁止になるはずだった。
 しかし、穂波は章介を鼻で笑って耳元に口を近づけ、囁いた。

「証拠があれば、ね」
「?」
「スマホの画像はとっくに消してる。PCに送ってからね」
「っ……」
「家宅捜索でもさせるか? お妃さま」

 相手の口から放たれる言葉が信じられない。
 章介は呆然と人の形をした悪魔を見上げた。

「ははっ、いい顔だなあ。その顔が見たかったんだよ。これからたっぷり仕込んであげるよ。君みたいにプライドの高い男を屈服させるのが趣味なんだ。責められて責められて責められて、耐えきれずに落ちる瞬間がたまらない。そうして最後には自分からねだるようになる」

 そう言って頬を舐めた穂波に胃の内容物がせりあがってくる。
 生まれてこの方、こんなに醜悪なものを見たのは初めてだった。

「死ねっ……!」
「さ、ここはどうかな? おぉ、やっぱり未開発か。ネコは初めて?」

 それまで腹の辺りをウロウロしていた手が足の付け根あたりに移動する。
 章介は息を呑んで体を突っ張らせた。

「クソッ、さわんなっ!」
「こういうタイプに限って敏感なんだよ。ほら、感じてきた」
「汚え手でさわんなっつってんだろっ!」
「その汚い手で感じちゃってる淫乱は誰かな? まだ触ってないのに勃っちゃってるよ」
「そんなわけあるかっ」
「嘘じゃないよ。ほら、見てごらん」

 そう言って体を抱え起こされ、背後に回った穂波に見るよう強要される。
 目に入ってきた光景に章介は愕然とした。
 体は完全に心を裏切っていた。

「っ……!」
「変態はどっちかな?」

 穂波はそう言いながら胸を揉み始めた。
 あまりのショックで呆然としているまに、体はどんどん昂ぶってゆく。
 腰の奥がじんじん熱を持ち出し、息が浅くなって、時折変な声が出そうになる。
 章介は必死で声を噛み殺した。

「っ……くっ……」
「ここいじられると気持ちいいだろ? 君、ネコの才能あるよ。感度抜群だ」

 背後から密着する男が気持ち悪くてたまらない。それなのに、体は火照っていた。
 人生で触ったことも触られたこともなかった、そういう部位だと思ったこともなかった場所を、男の手が執拗に刺激する。
 するとどうしたことか腰が痺れてくるのだ。
 章介は混乱状態のまま必死にその手から逃れようと身をよじったが手足を縛られている身ではどうしようもなかった。

「なに、そんなにすりつけておねだりかい?」
「ちがっ……!」
「仕方ないな。ほら、うつ伏せになって」

 穂波はそう言って足の拘束を解くと、章介を布団にうつ伏せにならせた。
 手はまだ縛られているが、自由になった足で攻撃できないこともない。
 しかし、衝撃的な出来事の連続に混乱していた章介は動けなかった。

「くそっ……ふざけんなっ……うっ!」

 ピシャリと音がして尻を叩かれる。
 それほど強くはないが面食らって反応できずにいると、再び叩かれた。
 そして乱暴に揉まれる。
 それを繰り返されるうち、いよいよ体にたまった熱が上がってきた

「いいケツしてるねえ。ほら、もう一発」
「っ……!」
「こういうことされるの初めて? のわりに感じてるけど。さあ、力抜いて」

 その言葉と共に肛門に濡れた感触がして、章介は思わず声を上げた。
 振り向くと、穂波がローションをふりかけていた。

「や、やめろっ! アンタ頭おかしいんじゃないのかっ?」

 身を捩っても相手はがっちり腰を掴んで離さない。
 そして、濡れた尻をなでまわしはじめた。

「ここ、気持ちいいだろ? ナカ、ちょっと見えてるよ。エロいケツだなぁ」

 洗い息をつきながら穂波が肛門のあたりを指でいじくり始める。
 先程よりも直接的な刺激に、章介はたまらず息をついた
 下品極まりない音がそこからしている。それを聞くだけで発狂しそうだった。
 永遠かと思うほど長い間そのまま嬲られているうち、次第に指が入ってくるようになった。
 おぞましい音と穂波の荒い呼吸音だけが座敷に響く。
 ああ、これが性を侵されるということなのだ。それはこんなにもおぞましく、恐ろしいものだったのだ、と奥歯を噛み締めながら思う。
 これまでは気付かなかった。気付けなかった。抱く側しかやっていなかったから。それも勿論嫌悪感はあったがこんなものとは比べるべくもない。男に女として扱われることの屈辱がどれほどのものか、章介はこの時初めて知った。そして同じことを経験してきたであろう友人達に薄っぺらな慰めの言葉をかけたことを後悔し、心の中で謝った。
 自分は何もわかっていなかった。男に抱かれるというのがどういうことか。女として扱われることがどれほど屈辱的か、全くわかっていなかった。

「ほら、指入っちゃうよ」
「っ……!」
「後ろだけでイけそうだ」

 そう言われ、前を弾かれる。
 章介は呻いて、早く終わってくれ、と祈った。
 もうヤられてもいいから、一刻も早くこの地獄から解放されたい。

「こんなに締めつけて……欲しい? もっとぶっといの、欲しい?」
「……」
「欲しいって言って」

 言えば、楽になれるだろうか。
 一瞬そう思ったが、口をついて出たのは別の言葉だった。

「地獄へ落ちろっ!」

 すると相手の身に纏う雰囲気が変わった。
 そして次の瞬間、中にあった指が引き抜かれ、別のもっと熱いものが勢いよく侵入してきた。

「あぁっ!」
「君はっ……男を煽るのが本当にうまいねっ! はっ……」
「う、あぁっ……!」
「きっと売れっ子になるよ」
「あっ、やめっ……! クソッ!」

 先程とは比べものにならない勢いで腰を打ち付けられ、敏感な部分をしごかれて体が限界を迎える。
 章介は悲鳴を上げて精を放った。
 それでも穂波は止まらず、敏感になった粘膜にダメ押しのように楔が打ち込まれる。
 章介は体を震わせて二度、三度と絶頂した。
 もう声を殺す余裕もなく、気色の悪い声が出っ放しだった。
 穂波は一回達すると、その後も章介を仰向けにして再び性交を強いたあと、やっと解放した。

 ◆

 拘束を解かれても章介はしばらくの間動けなかった。
 穂波が何か言っていたがそれも頭に入らない。
 そのまましばらく放心していると、誰かがやってきて着物を着せかけ、章介の自室に連れて行った。そしてシャワーを浴びるよう促す。
 言われるままに服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びたときだった、章介がようやく我に返ったのは。
 彼は憑かれたように全身を何度も何度も洗った。
 洗っても洗っても汚れが落ちない気がしてシャワーを浴び続けていると、いきなり扉が開いて入ってきた若衆の佐久間がシャワーを止めた。そして体を拭くよう促す。
 章介は言われた通りに体を拭いていつのまにか用意されていた替えの着物に腕を通し、浴室から出た。
 そこで佐久間が言った。

「今日はもういいらしいからここで休め。それから、変な気は起こすなよ」

 章介は力なく頷き、ベッドに身を横たえた。布団を頭からかぶって目を瞑る。
 そうやってしばらく眠ろうと努力したが無理だった。それで裏山にでも登ろうと起き上がって支度をする。
 部屋を出て、すべてなかったことにしたい、とそれだけを思いながら階段を降りている最中で不意に声をかけられる。相手は湯田一樹ーー章介より半年早く店に入った同い年の友人だった。
 小柄でまるで女のように美しい男だ。信と同じく正統派の美形だが、多少の男らしさのある信に比べて繊細な美貌の持ち主だった。入った当初、女と見間違えたのを覚えている。
 彼は当時サボってばかりの章介や信とは違い、店のお職争い、つまりトップ争いに食い込むほどの売れっ子だった。信が売れっ子になったのはこの友人がのちに体調を崩してからの話だ。この頃は、一樹が一番の売れっ子だった。
 階下から上がってきた彼は白地に桃色の花が描かれた清楚な仕掛けを着て紅を引いていた。信と同じく抜き衿はしていないが、化粧は濃い目である。
 一樹は眉を潜めて章介の腕を掴んだ。

「章、お前なんつー顔してんだ。ちょっとこっち来い」

 逆らう気力もなく腕を引かれるまま階段を下りると、一樹は二階までおりて布団がしまってある寝具部屋に章介を押し込み、明かりをつけた。そこには店で使う絹の布団が部屋いっぱいに積み上げられていた。
 一樹は章介を奥まで引っ張っていって壁際にある布団と布団の隙間のスペースに座らせると、棚からごそごそと四角い箱を取り出した。
 そしていきなり言った。

「ウノしよーぜ、ウノ」
「……は?」
「だからウノだよ、ウノ!つって上がるヤツ」
「なんでそんなものがここに?」
「ここ、おれの避難場所だから。誰にも言うなよ」
「……仕事は?」
「ヘーキヘーキ。客待たすのも手管のひとつってな」

 そう言ってカードを切りはじめた相手に訳がわからず、どうでもいいことを聞いてしまう。

「二人でやるのか?」
「うん。意外とたのしーよ、ドロー4合戦」
「こういうのは普通何人かでやるものなんじゃ」
「二人でも問題なし。さ、やろーぜ」
「……」

 促されるまま手札を取ると、一樹が山からカードを一枚引いて返した。黄色の3だった

「よーし、しょっぱなからドロー2!」

 そして手札をバシッとその上に置く。
 勢いに流され、章介も青のドロー2を置いた。

「まだまだいくよー、ほれ!」

 それから何回かドロー2の応酬があって、次にドロー4になる。
 先に手札が尽きたのは章介だった。
 仕方なく枚数分山から引いていると、一樹が拳を突き上げた。

「よっしゃー! ひーけ、ひーけ、もっと引け」
「クソッ、何枚だよ」
「ははっ! めっちゃ気持ちいい。おー、大富豪」

 章介は山から札を引き終わると、再び新しい札を一枚引いて真ん中に重ねた。
 ここで手札を減らしてやろうと章介はスキップカードを続けて四枚だした。
 そして、ドロー4を出した。

「わー、スキップめっちゃ持ってんじゃん。でも残念、まだありますよっと」

 一樹はそう嘯いてドロー4を出し返す。
 章介は無言でドロー4を重ねた。

「うわー! くそおぉぉぉ」

 一樹はここで札が尽きたようだった。悔しげに頭を抱えて叫ぶ。

「嘘だろ? マジかよクソッ」
「フッ……」

 その反応に思わず笑ってしまう。一樹は常時リアクションが大きい男だった。
 結局相手はカードを十二枚引くはめになった。そしてそれが決定打となり、章介が先に上がりを迎えた。
 ゲームが終わると一樹がカードを集めて切りながら言う。

「ちょっとー、カード切ったの誰だよ。ダメ、もう一回。勝ち逃げは許さん」

 ふたりは結局その後五戦し、一樹が気持ちよく勝ったところで終わりになった。
 この頃には章介もだいぶ落ち着きを取り戻していた。パニックの波が引き、冷静にものが考えられるようになってくる。
 それを見計らったかのように一樹がカードを片付けながら言った。

「今日はもう終わりか?」
「ああ」
「そっかーいいなー。おれ今日泊まり入っててさ。外交官のハゲ。正月にあいつの顔なんて見たくねーよ。なぁ代わってくんね?」

 軽い口調に胸のつかえがとれてゆく。
 気づけば章介は口を開いていた。

「どうやって」
「ん?」
「どうやって……耐えてる……?」
「あー、なんだろ、慣れ? まあ今でもキモいはキモいけどな、おれそもそも男好きでもなんでもねーし。マジで嫌な客もいるよ。章もそういうのに当たっちゃった感じ?」
「……ああ」
「そりゃ災難だったなぁ。でもま、自分の上で喘いでるオッサンのことなんか気にすんな。あ、お前の場合は下か?」

 そう言われた瞬間、なぜかとても救われたような気がした。

「人はなぜこんなにも醜い……? なぜ……」
「ホントどうしようもねえよなぁ。でもそーゆー奴ら利用してこそ傾城ってな」
「生きるに値するか? こんな世の中……」

 つい弱音を吐いてしまう。
 相手の顔が見れずに膝に目を落として呟くと、一樹が身を乗り出して肩を掴んだ。

「章介、変なこと考えちゃ駄目だ。負けちゃ駄目だよ。信とお前とおれ三人でここから出るって決めただろ?」
「……」

 俯いたままいると、一樹が無理矢理章介の顔を上げさせ、真正面から見つめてきた。
 そして抑えた声で言った。

「信はお前がいなくなったら耐えられない。わかるだろ? 雪乃を亡くしたばかりだし、前にお母さんも亡くしてる。お前までそうなったら……もう耐えられないよ。あいつがダメになったらおれもダメになる。言ってる意味、わかるな? おれたち一連托生なんだよ」

 章介は頷いた。
 つい最近、信は初めての禿だった雪乃を亡くしている。あのときの取り乱しようは怖いほどだった。
 数日食べず、口もきかなかった。
 魂が抜けたようになにを聞いても上の空で、章介は正直友人が深刻に心を病んだと思った。
 常勤医や一樹、かつて信の世話役だった傾城の環の励ましでなんとか立ち直ったが、彼らがいなければどうなっていたかわからない。

「もし自分のために生きられないんだったら、おれたちのために生きてくれ」
「……」
「絶対にいつか終わるから。それまで頑張ろう」
「……わかった」

 章介が長い沈黙ののちに返事をすると、一樹はホッとしたような表情になって、肩をポンポンと叩き、身を引いた。
 そして伸びをする。

「さてと、さすがにそろそろヤベーからおれ戻るわ」

 そう言って部屋から出て行こうとする友人に後ろから声をかける。

「一樹」
「ん?」
「ありがとう」

 すると振り返った一樹は照れ臭そうに笑った。

「そういうのマジやめろって」
「お前に救われた。この恩は一生忘れない」
「もういいって。じゃーな」

 そして部屋の扉が閉まる。章介は深々と息を吐き出し、重ねてある布団と布団の間の隙間になった。
 一樹に止められていなければ今頃は山に行っていた。裏山に行くつもりで何も持たずに出たが、本当に裏山に行ったかどうかはわからなかった。もしかしたら別の山に入っていってそのまま遭難したかもしれない。
 真冬のこの時期、山では夜間の気温が氷点下にまで下がり、適切な装備が無ければ一晩で凍死する。その未来があったかもしれなかった。
 のちにこの時のことを思い返すたびに祖母が守ってくれたのだと思わざるを得ない。それぐらい絶妙なタイミングで一樹と行き合ったからだ。

 この時章介を救ってくれた一樹は皮肉にもその後自身が心を病み、薬に溺れていった。それを助けたのが信だった、と夢の中で章介は思い出す。
 信は一樹の客を肩代わりした上に一樹を店から逃がした。そしてそれがバレて店から激しい折檻を受け、何日も寝込んだ。
 信はそんなふうに一見それとは見えないが非常に正義感の強い男だった。だから章介が拉致されたと知ったら間違いなく助けに来る。そしてそれによって信の政治生命は終わるだろう。それだけは避けなければならない。信がこれまで積み上げてきたものを台無しにするようなことはしたくない。だからいずれにせよ自力でなんとかするしかないだろう。
 そのようなことを深層意識で考えながら、やがて章介は目覚めへと向かっていった。