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※ハード目の暴力表現あり。かなり痛いです。飛ばしても読んでも話が繋がるように作ってありますので、苦手な方は飛ばして九話にお進みください。


 目覚めると、ラザロはルカの屋敷の地下牢にいた。
 かびくさい石壁で囲まれた十五メートル四方の部屋の奥の檻の中、両手両足を拘束されて床に転がされている。
 この部屋には見覚えがある。ルカが何かにつけてラザロを閉じ込めていたからだ。
 だが、部屋には以前と違う点がいくつかあった。
 前は何もないがらんとしたただの牢屋だったのに、机と椅子、小さめのバスタブのようなもの、そして何かの機材が運び込まれている。
 入り口付近の壁掛けランプの弱い光源では目を凝らしても何かはよくわからない。
 だがおそらくは拷問の器具だろうと思った。
 ルカはラザロを死ぬより酷い目に遭わせると言った。つまりそういうことだろう。

「クソッ」

 悪態をつきながら後ろ手に手錠をかけられた手元を探る。だが、袖口を触ってみてもロックピック用のピンがない。
 そこではじめて別の服に着替えさせられていることに気付いた。
 白っぽいシャツだが、ラザロの私服ではない。ルカが適当に買ってきて着替えさせたのだろう。
 もしくはサムエーレの私服か。
 そこではっと気づく。そうだ、サムエーレに体を乗っ取られてからの記憶がない。
 マウリの記憶は全て持っているが、サムエーレに関しては記憶があるときとないときがあった。
 今回は後者のようだ。あの後何をしていたかの記憶がまったくない。何日経ったのかもどういう状況なのかもわからない。
 そこで、サムエーレを呼び出して聞くことにした。

「おいガキ、出てこい」
『…………』
「ガキ、早く出てこいっつってんだろ。何してたか話せ」
『……いや』

 渋々出てきたサムエーレに舌打ちする。

「マジでふざけんなよ、体乗っ取りやがって。てめえのせいで全部台無しだよ」
『そっちこそ、おにいちゃんころそうとしたじゃん! だから教えない』
「アイツは兄貴じゃねえって何回言ったらわかるんだよ。ほら、いいから話せ。今お前に構ってる暇ねぇから」
『……』
「サムエーレ? おい、返事しろ」

 しかしそれ以後どんなに呼びかけてもサムエーレは返事をしなかった。
 ラザロは悪態をつき、自らと壁を繋ぐ鎖を見上げた。
 端が壁に埋め込まれた金属の鎖の先は手枷になっていて、ラザロを縛めていた。
 経験上これは絶対に外れない。だから逃げ出すチャンスがあるとすれば、拷問コーナーに移動させられるとき、鎖が外れた一瞬だ。
 そこを狙うか、と算段していると、不意に重い鉄扉が開き、男が数人入ってきた。
 ルカとその部下だ。ルカは珍しく私服で、ワインレッドのシャツに黒いスラックス姿だった。
 それでなぜ冬真っ只中のこの季節に寒くないかというと、ヒーターが地下牢に持ち込まれているからだ。
 これがなければラザロはとっくに凍えていただろう。
 ルカは、ラザロが目を覚ましたのに気付くと近付いてきた。

「やっとお目覚めか。ちょうど準備ができたところだ」
「ふざけんなっ! これ外せよ!」

 鎖をガチャガチャいわせながら叫ぶと、ルカは檻の扉を開けて中に入ってきた。
 そうして地面に這いつくばるラザロのそばに片膝をつき、その髪をわしづかんで顔を上げさせた。

「うっ……!」
「お前は本当に馬鹿だな。話を聞いていなかったか? 仕置きが先方との和解条件だと。その証拠を送ってやらなきゃ取り引きが潰れる上、九龍を敵に回すことになるんだぞ!」
「そんなの知ったことかっ! ファミリーなんて、ははっ、反吐が出る、俺にはどうでもいいんだよ! いいからこれ外せ!」

 するとルカは鼻で笑った。

「今のお前に何ができる? お前が今うちでなんと言われているかわかるか? 九龍のスパイにたぶらかされて寝返ろうとした裏切り者、だ」
「はあ? んなことしてねえっ。俺はただシンと一緒になりたかっただけだ!」
「向こうはどうかな?」
「それどういう意味だよ!」
「なぜこんなに簡単に計画がバレたと思う? シンはハタケヤマと通じてたんだよ。で、お前をうちから引き抜こうとした。お前は騙されたんだよ」

 ラザロは首を振って叫んだ。

「違うっ、そんなわけねえ! シンはっ、シンはっ、そんなんじゃねえ!」
「そうだよ。じゃなきゃ自分の女に手ぇ出されたハタケヤマがこんな簡単に引き下がらないだろ。全部嘘だったんだよ」
「けどショースケのことはっ」
「全部計画のうちだよ。ホナミは邪魔になったからついでに始末したんだろ。ラザロ、いい加減認めろ、お前は騙されたんだ。愚かにもな」
「適当言うな!」

 するとルカはラザロの顎を掴み、憐れむような眼で見た。

「現実を受け入れられないか。可哀想に。まあとにかく、あの男娼はいい仕事をしたわけだ。証拠も残さずファミリーの後継者を一人潰すとはな」
「潰す?」
「そうだ。お前は後継者の資格を剥奪された。当然だろう」
「そんなのいらねえ」
「ならば死ね。ファミリーでのお前の存在価値はそれしかない」

 酷薄な瞳で自分を見下ろすルカに、ラザロは唇を引き上げて嗤った。
 それにルカが怪訝な顔をする。

「なにがおかしい?」
「それはお前だってそうだろ? ドンの長男さん」

 途端に頬を張られる。どうやら地雷を踏んだらしい。
 ルカは鬼のような形相でラザロを睨んだ。

「養子風情が調子に乗るな! よかろう、罰が欲しいんだな、酷い罰が。おい! 撮影を始めるぞ」

 ルカがそう言うと、辺りが真昼のように明るくなった。
 持ち込まれた照明が地下牢を煌々と照らしている。強引に立たされたラザロがそちらに目をやると、用意されていたのは撮影機材と拷問具だった。
 並々水が入った大きな桶も、机の上に並べられた器具も、天井の滑車から垂れる鎖も、拘束具付きの椅子も、すべて見覚えがある。ラザロが『仕事』で時々使うたぐいのものばかりだからだ。
 唯一違うのはビデオや照明といった撮影機材があることだ。ご丁寧にカメラマンまでいる。
 なるほどあそこで撮ったものをハタケヤマに奉納するわけか、と冷静に思う。
 訓練で拷問に耐性のあるラザロにとってはさほど恐ろしい光景でもない。水責めも爪はがしも鞭打ちも経験があった。だから器具を見ても何とも思わない。
 だが、大人しくやられてやるつもりはなかった。

 やがて移動のためルカが足枷を外し、手枷に繋がる鎖を外す。その瞬間、ラザロは思い切りルカに体当たりをして机の上のペンチを後ろ手に拘束された手でつかみ、手枷の連結部を断ち切った。
 そして近づいてきたルカの部下を蹴り倒し、出口に向かう。
 出口付近にはまだ一人いてラザロが来るのを待ち構えている。ラザロは躊躇なくペンチの先をそいつの目に刺した。

「ぐああぁぁっ! 目が!」

 男は蹲り、ラザロの道が空く。ラザロは鉄扉の取っ手に手をかけ、思い切り押した。だが、それはびくともしなかった。

「クソッ!」

 背後に気配を感じて振り返ろうとしたが遅かった。次の瞬間、頭に強い衝撃を受けて意識が遠のく。
 それでも反撃しようとペンチを持った右手を振り上げたが、捻りあげられて肩を外された。

「ぐあぁっ……!」

 痛みに耐えられずにペンチを取り落とし、膝をつく。すると、その腕を捻りあげながらルカがラザロの耳元に口を近づけた。吐息が耳たぶにかかる。

「悪いことをする手はこうしないとな。おい、全部撮っとけよ」

 そう言うなりルカはラザロの右腕を折った。
 瞬間、灼熱の痛みが走り絶叫する。

「ぎゃああああ!」
「左も」
「ああああああ!」

 ボキッと鈍い音がして左腕も折られる。地面に突っ伏し痛みに悶絶するラザロを引き上げ、ルカが嗤った。

「これでもう拘束する必要もない。女みたいに騒いで恥ずかしくないのか? 堪え性がないな」

 そしてそのまま水桶のところまでラザロを引っ張って行って今度は髪をわしづかみ、その中に沈めた。
 途端に息ができなくなり、今度は窒息の苦しみがラザロを襲う。

「ーーーーっ!」

 息を吸う間も与えられずに沈められて、ただでさえ少なかった空気が気泡となってどんどん流れ出てゆく。
 苦しくて思わず息を吸うと気管に水が入ってきてさらに苦しくなった。
 永遠にも思われる時間が過ぎた後、意識がブラックアウトする寸前で引き上げられた。

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!」

 せき込み、息を吸う間もなく再び水に沈められる。
 水責めをされたときはとにかく水を吸い込まないのが重要だ。だから水中では息を止めて時折吐くようにする。
 頭ではそうわかっているが、腕と肩の痛みが強すぎて教わった通りにできない。
 ああ、死ぬ、と思った瞬間にまた一瞬だけ空気を吸うことを許される。
 それが何度も何度も繰り返された。
 ようやく水責めが終わった時、ラザロは自分の体を支える力さえなかった。
 冷たい床に倒れこみ、咳き込みながらうつろな目でルカを見る。
 すると、ルカは近づいてきて硬い革靴で折れた右腕を踏みつけた。

「あぁっ」

 かすれた悲鳴を上げると、ルカは満足げに笑った。

「やっと大人しくなったか。だがへばるのはまだ早い。これからだぞ」
「クソ野郎っ……死ねっ!」
「まだ減らず口を叩く余裕があるのか?」

 ルカは手から足をどけ、それを胸の上に置いた。
 そして思い切り体重をかけて踏みつける。肋骨がボキボキと折れる音がして、すさまじい圧迫感と痛みに襲われた。

「ぎゃあっ!」

 痛みに絶叫すると、ルカが足をどけてそばに跪き、ラザロにだけ聞こえる声で言った。

「許してほしいか?」
「……」
「俺に忠誠を誓え。一生裏切らない、と。そうしたらあとは手加減してやる」

 ラザロは一瞬考えた後、ルカに唾を吐いた。
 その途端ルカの目つきが変わる。

「そうか、それが答えか」
「てめえに従うくらいなら死ぬ!」

 ルカは頬についた唾を指の背で拭い、立ち上がって後ろで控えている部下に命じた。

「吊るせ」

 すると男たちがやってきてラザロを起こし、手枷を着けて天井から垂れさがる鎖に繋ぎ、滑車を回して足がぎりぎりつく高さまで引き上げた。
 その途端に腕と肩と胸に激痛が走り、ラザロは悲鳴を上げた。

「あああああああああ!」

 今までとは比べ物にならないぐらいの痛みに生理的な涙が流れる。
 ルカはナイフでラザロのシャツを裂いて上半身裸に剥くと、一本鞭で思い切り打った。
 性的な用途ではなく拷問用に使うものなので、一発で肌が裂ける。
 そうしてそこも焼けるように痛み出した。
 ルカは無表情で鞭を振るい続け、ラザロの上半身が傷だらけになると仕上げとばかりに真っ赤に熱した焼き鏝を持ってきた。
 盾に羽を広げたワシと剣が描かれたバルドーニ家の紋章が彫られたものだった。
 それを胸に近づけ、ルカが再度問う。

「何か言うことは?」
「そんなのねえ! クズ野郎!」

 すると焼きごてが左胸に押し付けられる。
 肉の焼ける臭いと熱さと痛みに、ラザロは絶叫した。

「ぎゃああああああ!」

 痛い。ただひたすらそれしか考えられない。
 もう自分が何者なのかも、なぜここにいるのかもわからない。
 目の前の男に許しを請うて一刻も早くこの苦しみから逃れたい。
 そう思うのに、舌が喉に張り付いたように言葉が出てこなかった。
 焼きごてを床に放ったルカは、痛みに喘ぐラザロの傷口を撫でた。

「お前は本当に馬鹿だな。誓うとさえ言えばよかったのに」
「はあっ、はあっ、はあっ……」
「本当に救いようがない。わかってるのか? お前が頼れるのはもう俺しかいないんだぞ。少しぐらい尻尾振ったらどうだ」
「はあ、はあ、はあ、お前に、従うくらいだったら、死ぬ。てめえなんか、はあ、大嫌いだ。ドンに尻尾振るしか、能がねえ、くせに……っ!」

 言い返すとまた殴られた。だが既に全身が痛く、アドレナリンが出まくっているのでそこまで痛くなかった。

「お前は本当にいらないな。出来損ない」

 ルカはそう言ってそばのテーブルから小型ナイフを手に取った。そして部下に命じる。

「下も脱がせろ」
「おいやめろっ!」

 身を捩ったが男達は容赦なく下着まで脱がした。
 全裸にされたラザロがルカを睨みつける。

「いったいどういうつもりだ」

 するとルカは近づいてきてナイフの刃先で局部をつついた。

「シニョーレ・ハタケヤマにはここを切り落としてほしいと言われた」
「なっ……!?」
「だがお前の態度次第では温情をかけてやらないこともない。一生俺のいうことをきき、サムを傷付けないと誓えば許してやる。どうする?」
「お前はっ……つくづく卑怯な野郎だなっ……!」

 勝ち誇った表情のルカと目が合う。
 薄茶の目がこれほどおぞましく感じたことはなかった。
 ルカは恐ろしいほどにサムエーレに執着している。
 おそらく、最終的な目標はラザロもマウリも消し去り、サムエーレとの気持ち悪いままごとごっこを一生続けることだろう。

「今後お前は俺が言ったときにサムを呼び出す。それを約束しろ。そうすれば大事な息子は守ってやる」
「っ……わかったよ、誓えばいいんだろ誓えば! いいよ奴隷になってやるよ、ケツ舐めてやる! だからやめろ!」
「やめろ?」
「……やめて、ください」

 するとルカは口の端を引き上げ、言質はとったぞ、と言ってナイフを局部に突き立てた。

「ああああああっ!」

 激痛に、話が違うとさえ言えない。
 ラザロは己の股間がら流れる血を見、一瞬でもルカを信じた自分がバカだった、と思いながら意識を手放したのだった。