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 榛名が寝付いてからおよそ2時間後、羽生葵は宿題を何とか終わらせて床についた。
 暗い天井を見つめていると、今日の試合が終わった後、1年生から言われた言葉が頭の中に蘇ってくる。

『榛名さん、何であんなに怒ってるんですか?』

 ふたりの関係性をまだ把握しきれていない、未来のエース候補、丹波ミサキは、目を白黒させて聞いてきた。それは当たり前の疑問だった。
 たかだか一度、ちょっと捕逸したくらいであそこまで腹を立てるなんて普通じゃない。しかし、ふたりはそもそも「普通」の友人同士ではなかった。
 
 榛名と澤の関係は、バッテリー以前の問題だと羽生は思っている。
 ああ見えて二人は、実家が近所で、小学生の頃から付き合いがある、いわゆる幼馴染というやつだった。
 中学時代は、2年生の春から引退するまでバッテリーだったらしいから、組んでからは割と長い。
 東京の中学に在籍していた羽生がはじめて彼女らの存在を知ったのは、中学3年生の夏だった。

 その年、地区予選を勝ち抜いて全国大会出場を決めた羽生は、その試合会場に東北代表として来ていたふたりを初めて見た。
 ふたりは相手打者の特徴を分析しつくした緻密な配球パターンで有名だった。試合で当たることはなかったが、まるで相手を丸裸にするかのような戦略に、ふたりは、絶対に戦いたくない相手、として羽生の脳裏に刻み込まれた。

 羽生の母校は中高一貫の私立校であり、都内ではわりと名の知られた女子中学野球の強豪校だった。
 その高等部もやはり女子野球に力を入れており、彼女らに声をかけたこともあったらしい。
 しかし、ふたりは、羽生の母校、梢葉《しょうよう》学院高校を含む数あるスカウトを断り、地元宮城の強豪、栄徳高校に進学した。

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 配球の組み立ては、捕手だけがやる場合も、投手の比率が大きい場合もあるが、大抵両者と監督、コーチが協力して行う。そして、普通の人間関係と同じく、バッテリー間にはある程度力関係があるのが普通だ。
 羽生もこれについて異論はない。年の差や、性格などでどちらかがリードし気味になるのは当然のことだ。羽生が中学時代に在籍していたチームのバッテリーもやはりそうだった。

 現在の栄徳バッテリーは、はたからみるとごく対等な関係に見える。
 投手はほとんど首を振らないし、配球はふたりで協力してやるし、サイン交換も一瞬。
 部外者からすればどう見ても息の合った名バッテリーだろう。

 羽生もふたりと同じチームになるまではそう思っていた。幼馴染で、かつ長く組んでいるのだから、相当気が合うのだろうと思い込んでいた。
 しかし、マウンドでは澤に従順な榛名もいったんそこを降りれば、暴言は吐くわ、掃除は押し付けるわ、荷物持ちはさせるわで、対等な友人関係はまるでなかった。澤の方は温厚な性格がたたって断れない。
 この、エースから正捕手への扱いのひどさは、チーム全体にも響くので何とかやめさせたいのだが、榛名は聞く耳を持たないし、澤にも反骨精神の欠片もないので羽生は手を焼いていた。

 今のところ試合や練習はこなせているが、いずれこのいびつな主従関係を抱えるバッテリーがもとでチームが崩れるのではないか、という予感があった。
 何とかしたいと思いつつどうにもできずに羽生はじりじりとしていた。
 だから、何とかふたりの関係を改善させたくて、入部してからこっち1年以上苦心してきたのだが、成果は一向に上がらなかった。
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 チームメイトの中でも特に熱心にふたりの関係改善に努めていたのは、3年生の副主将、金沢悠木《ゆき》だった。
 生来的に面倒見がよい彼女は、過去1年、榛名と澤の間でイザコザが起きるたびに飛んでいって調停してきた。
 彼女自身は、榛名とのほうが相性が良いようだったが、仲裁に入る時はどちらかに肩入れしたりすることなく、榛名を諫めるのに躊躇しなかった。
 榛名が澤に突っかかっていることのほうが、その逆のパターンよりも圧倒的に比率が大きかったので、金沢の対応は公平といえた。

 彼女はまた、横暴な榛名に反感を抱いている2年生の投手、飯田夏のフォローに回ったり、榛名によってエースから引きずりおろされた3年生の香坂優に声をかけたりと、チームをうまく回すために奔走していた。
 金沢の役回りは自分によく似ていたから、羽生は彼女を頼りにしていた。榛名が暴走しても彼女なら止めてくれるということが分かっていたから、安心してプレイすることができた。

 しかし、頼りにしていた金沢はここ最近、榛名と澤に干渉しなくなっていた。羽生はそのことに戸惑い、何かあったのだろうか、と気をもんでいた。
 金沢がふたりの間に入ることをやめれば、もはや問題児たちの調停役は自分しかいない。そうなったら金沢ほどうまく榛名を諫められる自信がなかった。
 羽生は、あとで金沢にわけを聞いてみよう、と暗闇の中で天井を見上げながら決心し、襲ってくる睡魔に身を任せて目を閉じた。